「我々の力が、我々自身にはね返ってきたのです」
ポール・ヴィリリオ・インタビュー
2011年3月11日の東日本大震災と、それに続いて起こった福島第一原発事故の直後に、フランスの科学雑誌『Sciences et Avenir』がポール・ヴィリリオにインタビューした。「速度の哲学者」ヴィリリオは、1980年代後半以降、一貫して「テクノロジーは事故を『発明』する」と主張し続けている。曰く「難破とは船舶の『未来派的』発明品だし、墜落は超音速機のそれだ。チェルノブイリが原子力発電所のそれであるのも全く同様だ」(『アクシデント 事故と発明』小林正巳訳)。以下は、「原発事故を『発明』したフクシマ」についてヴィリリオが語った記事の全訳である。翻訳・転載を許可して下さった『Sciences et Avenir』誌と、同誌編集長でこの記事を書いたドミニク・ルグリュ氏に感謝する。
2011年3月17日取材/4月4日公開(取材:ドミニク・ルグリュ)
『Sciences et Avenir』(科学と未来)
(翻訳:飛幡祐規+小崎哲哉)
« Notre puissance se retourne contre nous »
Interview avec Paul Virilio
Propos recueillis par Dominique Leglu, directrice de la rédaction, le 17/03, publié le 04/04/2011
Sciences et Avenir.fr
進歩崇拝の告発者にして、著名な『速度と政治』や『パニック都市』の著者であるポール・ヴィリリオは、科学の責任原則を熱烈に支持している。『Sciences et Avenir(科学と未来)』誌は、[2011年]1月に行ったインタビュー(767号p.44-47参照)に続いて、日本で現在も継続中の原子力の大事故について、氏に反応してもらった。
----日本で起こった深刻な大災害、とりわけ福島の原子力発電所で起きたことから、何を想い起こしましたか。
ウィンストン・チャーチルの言葉を実証する出来事ですね。「我々は結果の時代に入ったのだ」という言葉です。いくつかの特定のテクノロジーがもたらす結果が出たのだから、科学者たちは巨大事故について自問すべきではないでしょうか。そして、この(原子力)政策は可能であるのか? とも。覚えていらっしゃるでしょうが、チェルノブイリ原発事故はそれなりに、ソ連邦を内部崩壊させました。あの崩壊は政治的な理由だけによるものではなかったのですから。2003年にカルティエ財団で開いた事故をめぐる展覧会『事故の博物館』に、私はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ(多数の賞を受賞した『チェルノブイリの祈り』(1997年)の著者)を招いたのですが、それはまったく当然のことであると思えました。ところが、事故に関する科学というものは存在しない。「事故学」と名付けられた学問は冗談のごとき代物です。
----そして福島で、事故が再発したわけですね。
ええ。でも、事故による結果や世界の状況を考えると、チェルノブイリよりも重大なものになるでしょう。グローバリゼーションの本質とはそういうもので、膨大な問題がこれから押し寄せてきます。健康、環境、政治、財政、経済、エネルギー......様々な結果・影響が現れるでしょう。エネルギーというのは、それが主要な政治的現象であるという意味においてですが、では、その「政治」とは何か? それは、単に成功を目指す政治にとどまらず、事故に鑑みる政治でなければなりません。ここで言う事故は我々の理解を超えています。我々は、私が「暴かれた(暴露する)」事象と呼ぶものに立ち会っている。これらの事象は、我々が制御できないものを暴き、露呈しているのです。進歩という概念がこのことを否認するのに用いられますが、それは「進歩」が前よりよくなることを指すからです。ところが、成功だと思っていたものは破局に変わる。驚くべきことに。
----そして福島では、この破局にリアルタイムで立ち会っている。多くのことが提示されていないとしても。
そうですね。即時性のものですが、これもやはり事故なのです。絶対的な透明性、即時性は解答なき問題を提示します。アインシュタインは、亡くなる前にピエール神父が会いたいと望んだとき、彼にこう言いました。「3つの爆弾があります。原子爆弾、人口爆弾、そして情報の爆弾です」。私はそれを情報科学爆弾と名付け直しました。アインシュタインの時代には存在しなかった言葉です。この情報科学爆弾は今日、毎日爆発しています。アラブ諸国で展開されていることにせよ日本で起こったこの大事故にせよ、瞬時に反響するのです。現代は特異な時代で、時代を考えるための科学的政治的知性を要するのですが、その知性が不足している。予防原則はありますが、責任に関する科学的原則を持っていないのです。私はここで [編集部注:1942年から原子爆弾開発を行った「マンハッタン計画」を主導し、「原爆の父」と呼ばれる物理学者の] ロバート・オッペンハイマーの言葉に思いを馳せざるをえません。彼にとって「物理学者たちは科学的な罪を犯した」のです [注1]。原子物理学者たちには、聖域外に足を踏み出したことがわかっていたのです。
----ヒロシマとフクシマの違いは何でしょうか。
ヒロシマは前例のない事件でした。フクシマを前に、我々は大いなる疑問を自らに問います。原子爆弾に始まり----スリーマイル島とチェルノブイリの後に----原発の大爆発で終わったこのエネルギーとはいったい何なのか? 我々の力が、我々自身にはね返ってきたのです。
[注1] 正確には「物理学者たちは罪を知っていた」
ポール・ヴィリリオ
1932年、パリ生まれの思想家・都市工学家。著書に『速度と政治 ―地政学から時政学へ』 『電脳世界 ―最悪のシナリオへの対応』 『情報化爆弾』 『アクシデント ―事故と文明』 『パニック都市 ―メトロポリティクスとテロリズム』などがある。