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2013.02.21 河内 秀子
プレミア上映後のトークで。左から2番目が池谷監督 photo by Hideko Kawachi
今年で63回目を迎える「ベルリン国際映画祭」が2月7日から17日にかけて開催されました。1951年の夏、東ドイツに囲まれ、孤立していた西ベルリンの街に拠点を置き、「自由な世界のショーウィンドーとなるように」と始まった映画祭は、半世紀以上の時を経た今でもその心意気を忘れていません。派手さはなくても、しっかりと主張を持つ佳作が世界中から招待され、10日間で50万人近い観客が訪れます。
さて今年は、フォーラム部門で日本からのドキュメンタリー映画「先祖になる」(池谷薫監督)が上映されました。
この映画の主人公は、岩手県の陸前高田市で農林業を営む佐藤直志さん。東日本大震災の津波によって長男が波にのまれ、自宅も半壊。解散について話し合う町内会で、直志さんは夢を語ります。「夢だから、実現するかしねぇかわかんねぇけんども、我が家を建て直す」。仮設住宅には行かない。震災で枯れた杉を自らの手で切り、米を植え、蕎麦の種をまく。家が流されたら、また建て直せばいい。大昔からそうやって生きてきた...。
2月13日のプレミア上映では、800席の映画館がほぼ満席になり、上映後は大喝采の中、池谷監督とカメラマンの福居正治さんが登場。
最初に監督は佐藤直志さんからのメッセージを読み上げました。「ガンコ親父です」と口火を切ると、直志さんの「頑固っぷり」を既に映画で満喫した会場から笑いが起こりました。直志さんは「東日本大震災に際し、各国のみな様方から寄せられたご支援のおかげで元気に農作業や家の建築にと励む事が出来た。今後も明るく笑顔で暮らして行きます」と感謝の言葉を寄せました。最後に直志さんの「ありがとうございます」が読み上げられると、会場も「アリガトウ」と温かく返していました。
「どうやって、直志さんと知り合ったのか?」との会場からの質問に、「最初は被災地で映画を撮るつもりはなかった」と監督。福島で子ども時代を過ごしたこともあり、被災地へボランティアに行こうかと考えていたところ、「どうせ来るなら映画を撮りに来い」と友人に言われたそうです。全国が「花見も自粛」ムードの中、陸前高田に入った時、ちょうどお堂でお花見が開催されており、その呼びかけ人をしていたのが直志さんでした。「今年も同じように桜が咲く」と語りかけた彼を見て、撮影を決めたのだそうです。
また直志さんの、家を建て直し、この地に根ざす伝統と暮らしを絶やさないという並々ならぬエネルギーと熱さを感じた会場からは「他に彼に続く人は現れなかったのか?」という質問がありました。来年、あと2軒が建つ予定で、その資材となる木も直志さんが伐(き)ったそうです。
「生きているうちは復興しないかもしれないけれど、自分が礎となると考えているのでは」と直志さんのことを語った監督。
撮っていくうちに、これはもはや「震災映画」ではないと思った、と言います。「直志さんは、人が生きていくために大切なことを体全体で見せてくれる」という言葉に、観客たちは深くうなずいていました。
16日、「先祖になる」は、プロテスタントとカトリック教会の国際的な映画団体「INTERFILM」と「SIGNIS」による「エキュメニカル」賞のフォーラム部門、特別表彰を受けました。審査員からは、「2011年3月の津波被害の後の新しい人生の始まりの例を非常に感動的に描いた点を評する。本作の主人公である年老いた米農家は、故郷に根ざす豊かな宗教的伝統に力を得て、自分の家を再建していく」と寄せられています。
関連するURL/媒体
http://www.berlinale.de/en/das_festival/preise_und_juries/preise_unabh_ngigen_jurys/index.html