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2015.05.01 アマサワエンジィ
水俣でのプログラムに参加した国際色豊かな学生たち(御所浦島の烏峠で)
水俣病の公式確認から今日5月1日で59年になります。水俣病が水俣市と近隣区域に与えた爪痕は深く、メディアで取り上げられる被害の補償問題や訴訟以外にも、地域社会の再構築、そもそもの水俣病の定義にまつわる問題が今なお残っていることはあまり広く知られていません。水俣の現状を直視することの大切さは言うまでもなく、どうやってこの苦い教訓を後世に伝えていくのかが最大の課題であると言って間違いないでしょう。
チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を流した不知火海
この課題と正面から向き合ったのが、8カ国から集まった12人の東京大学大学院生でした。東京大学サスティナビリティ学グローバルリーダー養成大学院プログラムでは、レジリエンス(災害などから回復する力)の概念から水俣病について学ぶことを目的に、2010年から5日間の現場訪問を含めた水俣演習が行われています。今年はそれらの学びを一歩先に進め、「水俣の学びを世界へ発信」をテーマにいくつかのツールを制作しました。
制作したのは、演習中の参加者の振り返りや水俣病について詳しく学べる記事をまとめたブログサイト、水俣市とその近隣区域の現状を道中の記録からまとめたショートムービー、そして補償問題の複雑さへの理解を深めることを目的とした教育ゲームです。世界のどこかで水俣病について勉強する際に使用出来る教材としての位置づけから、全てのコンテンツは英語で制作。ブログ記事の一部は学生によって中国語にも翻訳されました。
国際色豊かな院生群は、学部での専攻は工学、環境学、医学など、バックグラウンドも多様。それゆえ、水俣演習に参加するまでは水俣病についてほとんど知らなかった人が半数でした。スリランカ出身でサスティナビリティ学修士2年のシャーム・クララツナ(Shyam Kularathna)さんは、「スリランカでは近年水質汚染によって多くの人々が死に、今なお苦しんでいて、水俣病が『原因不明の病』と呼ばれていた1960年代を思い出させる。国や状況は違っても、根本的な原因は利益の優先と人命の軽視であるところは水俣と変わらないことに気づいた。水俣病の教訓をスリランカの現状に生かしたい」との感想を述べました。また、日本人の学生にも貴重な経験となったようで、都市工学専攻修士2年の小塩美香さんは、「水俣病について自由闊達(かったつ)に意見を言い合える雰囲気は留学生との議論ならではであり、留学生の関心がどこに向いているのかを、議論を通して知ることが出来ました」と、話しました。
さらに、小塩さんは現地の人々から直接話を聞いたことで「どんな現実もしっかり受け止めた上で行動を起こしていくことの大切さを感じました」と言います。水俣病のような悲劇を二度と繰り返さないという思いを行動に移そうとした今回の試み。学生ひとりひとりが、水俣での学びから何を感じ、何をくみ取ったのか、彼らの制作したツールを通してのぞいてみませんか。
関連するURL/媒体
http://st.sustainability.k.u-tokyo.ac.jp/category/minamata-unit-2015/