Food
2013.09.10 岩井 光子
sea squirts:Creative Commons,Some Rights Reserved,Photo by bifyu
表面がボコボコした突起に覆われていて、小さな怪獣を思わせるホヤ。海のパイナップルとも呼ばれるそうです。ほのかな苦みが独特ですが、お刺身にするとみずみずしい磯の香りと食感がたまらなくてハマります。私は東北に実家がある知人にお土産でいただいたのが初対面でした。日本では好き嫌いがわかれる食材ですが、お隣の韓国ではお刺身をコチュジャンにつけて食べるのが大人気で、東日本大震災前にはたくさんのバイヤーが東北を訪れていたそうです。
日本のホヤ生産は、約9000トンと全体の9割近くを占めていた宮城県がダントツ1位でした。しかし、大津波で主要産地の石巻・気仙沼・南三陸地域の養殖場は壊滅状態に。ゼロから再スタートを切った産地ではここのところカキの殻をロープで海につるす採苗の作業は始まりましたが、赤ちゃんのホヤが成長するまでには3、4年が必要とのこと。復活にはまだ年月がかかります。
ホヤの魅力をもっと知ってもらおうと、塩辛や三升漬け、ジャーキーといった加工品開発と販売を手がけてきた仙台市の食品会社・三陸オーシャンも震災で大きな打撃を受けました。仕入れ先の牡鹿半島の養殖場は全壊し、加工を委託していた女川の工場も津波で流されて閉鎖。代表の木村達男さんは、一度は事業の再開をあきらめかけたものの、過酷な状況に置かれた漁師さんたちを訪ねて話をしているうちに、これはやめてはいられないと一念発起。北海道オホーツク産の赤ホヤで商品を補ったり、他の食材を販売するなどして何とか会社を続けてきました。
もともと牡鹿半島出身の木村さんが50代で前職を辞めてホヤの加工品販売を始めたのも、なじみのある食材であったホヤのおいしさを多くの人に知ってもらいたいという強い思いから。「都心へは鮮度の落ちたホヤが出回っていたこともありました。そういうホヤは強烈な臭いがするので、それで嫌いになってしまう人も多かったと思います」と木村さん。そこで干したり、煮たり、焼いたりした食べやすいホヤの味にまず親しんでもらってから、段階的に鮮度の高い生ホヤの本当のおいしさを知ってほしい。ホヤへの偏見を自分が薄めていきたい、そんな願いは震災後、一層強まったと言います。
震災後、木村さんの応援団として現れたのが「チームほやっぴー」。宮城大学食産業学部の学生有志によるPRチームで、ご飯にパスタ、煮物からおつまみまでホヤづくしの女子会や男子会、合コンを自主企画、Twitterやfacebookで情報発信しながらホヤを縁にした若い世代のユニークなネットワークを構築しています。「三陸のホヤが復活するころには、ホヤが人気の食材になっているようにがんばりたい」といった力強いメッセージが木村さんを勇気づけています。
自らを「ほやおやじ」と名乗る木村さんの夢は、「ほやじぃになるまでに、ホヤ料理の専門店を仙台市内にオープンすること」。現在すくすく育っている赤ちゃんホヤは木村さんにとっては目を細めてしまうほど「かわいい」存在だそう。優しい語り口の木村さんの話を聞いていると、これまで少しグロテスクだと思っていたホヤが本当にかわいらしく思えてくるから不思議なのです。
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