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今月のレコメンド:ミクロの微生物を通して見る世界
『発酵文化人類学』

2017.06.05 岩井 光子

何年か前、自宅でどぶろく作りに挑戦してみたことがありました。炊いた米に水と糀(こうじ)を入れ、酵母を少し加えると、たちまちシュワー、シュワーと泡が立ってきます。そして、じきにポコッ、ポコッという発酵音が聴こえるようになります。翌日も、その次の日も、目には見えないけれど、愛嬌あふれるその小さな生命の音に耳を傾けるたびに、理由はわからないのですが、すごく癒されたことを覚えています。発酵食品は手間がかかって難しそうというイメージでしたが、思った以上に面白くて、日々の変化も生きもの好きにはたまらない。これはハマるなと思いました。

Creative Commons,Some Rights Reserved,Photo by fo.ol
お米にニホンコウジカビがくっついてモコモコした糀

小倉ヒラクさんは、まさにその奥深い発酵の世界にどっぷりハマってしまったデザイナーです。自らの肩書も「発酵デザイナー」と名乗るほど。全国津々浦々に足を運び、みそや日本酒、ワイン、しょう油など、こだわりのお酒や調味料を作り出す若き醸造家たちと商品開発をしたり、ワークショップを開いたりしています。2012年には、みその仕込み方をシンプルな歌詞にし、アニメをつけた「手前みそのうた」でグッドデザイン賞を受賞。この曲をかけながら楽しくみそを仕込むワークショップが評判を呼んだことが、ヒラクさんが発酵デザイナーを名乗るきっかけともなりました。

デザイナーとしてだけでなく、発酵研究家としてもフィールドワークや研究を積み重ねてきたヒラクさん。これまでの見聞を基に思索を深め、書き下ろしたのが、4月中旬に発売された著書『発酵文化人類学』(木楽舎)です。「発酵文化人類学なんて面白そうな専門分野があったの?」と思いきや、これはヒラクさんの造語。「発酵を通して、人類の暮らしにまつわる文化や技術の謎をひも解く学問」のことをそう名付けたのだそうです。

ヒラクさん

発酵と文化人類学の接点がよくわかるのが、日本を代表するクセのある発酵食品について語る章です。例えば、長野県木曽町のカブの葉の漬物「すんき」。まったく塩を使わないで作るので、他では見られない乳酸菌が働き、独特の風味を醸し出します。冷蔵設備のなかった時代は、たとえ塩が入手できない集落であっても、あり合わせのもので創意工夫して食材の保存方法を編み出す必要がありました。学生時代に文化人類学を学んだヒラクさんは、これは、『野生の思考』で著名な文化人類学者、レヴィ=ストロースが言うところの"ブリコラージュ"(Bricolage=その場で入手できるものを駆使して新しいモノを作り出す)の発想とほぼ同じだと、ひらめきます。世界を巡れば、風土の違いに応じて星の数ほど多様な神話が語り継がれているのと同じように、発酵食も地域ごとに個性が著しいのは、ブリコラージュの発想で風土と対話しながら生まれたものだからなのだ、と。

400ページ弱の本書には所々、化学式や専門用語も出てきますが、ヒラクさんの語り口に終始堅苦しさはなく、理数系が苦手な人でも置いてけぼりを食らう心配はありません。ヨーグルトの発酵過程で「グルコース」という糖分を好んで寄ってくる乳酸菌を、「アフター5の新橋の赤ちょうちんに吸い寄せられるサラリーマンのおじさん」としてみたり、発酵菌を「ジョン・レノン」、酵素を「イマジン」に例えて両者の違いを語る辺りは、さすが「見えない発酵菌のはたらきを、デザインを通して見えるようにする」発酵デザイナー。すんなり理解できます。

発酵醸造学は、「生命工学と社会学の交差点にある学問」と言われるそうです。例えば、お酒の発酵プロセスは化学式に変換できますが、それぞれのお酒の好みの違いは化学式で表すことはできない。両者の間を行き来するゆらぎを内包していることも、発酵が複雑な現代社会を読み解くキーワードに成り得る所以(ゆえん)なのかもしれません。今やバイオテクノロジーの最前線ではゲノム編集も可能になりつつあるなか、この本に登場する、自らの感性で勝負している醸造家たちのカッコいいこと! 発酵とは本来至極人間らしい作用であるからこそ、常に不確実性もつきまといます。だからこそ醸造の仕事には覚悟も必要だし、満足のいく商品が仕上がったときの喜びも大きいのですね。

ヒラクさんの軽妙な語り口も相まって、ミクロの微生物を見ようとするうちに、逆に世界への視野は広がっていく気がする不思議な魅力にあふれた本でした。ちなみに「Whole Earth Catalogのようなカルチャー誌をイメージした」というBAUMによるカッコいい装丁もかなりオススメです。



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