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インドのワルリ族に教わる「ノコ=もう十分」の考え
ワルリ族に会いに行こう!

2017.06.07 橋本 淳司

ガンジャード村の風景

雨季のノコプロジェクト・第2回世界森会議へ向けた準備が進んでいます。開催は9月、雨季のワルリ族の村。深い緑の中、川で泳ぎ、魚を獲り、薪でカレーを作り、ダンスを踊り...。ワルリ族が当たり前に尊ぶ、生物多様性の暮らしを体感し、水、土、木、種、生き物をテーマに集う会議を設けます。各テーマの専門家はもちろん、市井の人々もスピーカーとなり、一人ひとりの心に「世界を考える」、地球市民としての種を蒔(ま)き合うのがこの世界森会議の目的です。ワークショップで、乾季にエディブルガーデンを実現する雨水タンク計画を立てています。

私がこの村へ初めて行ったのは去年のこと。インド・ムンバイから車で2時間ほど走ると、喧騒が嘘のように夜の静寂につつまれていました。車を降りるとわずかに虫の声が聞こえます。小さな明かりがポツポツと見えます。村人にはそれだけで十分で、重い荷物をかかえながら早足で歩いていきますが、私は携帯用の懐中電灯をかざしながら慎重に歩を進めねばなりません。足元はぬかるみ、粘土質の土が両足を包み込みます。9月のインドは雨季の只中にあり、今は上がっていても、いつ滝のような雨が降ってくるかわかりません。

村人の家に上がる前にバケツの水で足を洗います。ここに水道はありません。井戸水、雨水を少量使う生活です。電気は通っていますが1日に数回は停電します。部屋には小さな電灯がありますが、そのほかの家電といえば扇風機くらい。煮炊きには薪をつかっています。

こうした風景は発展途上国でよく目にします。水や電気のない生活を目の当たりにして、水道を敷設し発電所をつくれば、今より豊かで便利な生活ができるのにと考える人もいるでしょう。しかし、この村の人たちは自ら選んでこうした生活しています。村には「ノコ」という言葉があります。それは「もう十分」という意味です。

足を洗った私はゴーバル(牛糞)でできた家の床を踏みしめました。湿気をわずかに含んだ床が足裏に心地よくフィットします。ゴロンと寝転ぶと大地に包まれるようです。もちろん嫌な臭いなどしません。ワルリの人々の伝統的家屋は、木、土、石、ゴーバル(牛糞)でできています。身近なところで手に入れられる材料を使い、自分たちで建ててきました。この家は実に合理的です。雨季には湿った温かい空気を逃がし、乾季には熱を保持し、快適な暮らしを支えます。

ところが十数年前からインド政府がレンガづくりの家を推奨し、補助金を出したのです。安く家が建てられる政策は最初こそ歓迎されたものの、次第に違和感が広がっていきました。

そんなときガンジャード村と日本のNPO法人「ウォールアートプロジェクト」(代表おおくにあきこさん)との出会いがありました。このプロジェクトは村の学校を舞台に国際的芸術祭「ウォールアートフェスティバル」を開催してきました。学校の壁に絵を描き、子どもたちとその保護者に学校に足を運んでもらうきっかけ作りをするのがねらいです。日本人現地コーディネーターの浜尾和徳さんが、村に住み込み、「おかず塾」という村の有志たちと実行委員会を組織し、ワルリの人々と日本人のアーティスト、ボランティアが一体となって芸術祭をつくりあげました。

ワルリ画について解説する現地コーディネーターの浜尾和徳さん

アーティストが学校の壁をキャンバスに絵画を制作する様子は公開され、子どもたちは一心に打ち込むアーティストの姿を目の当たりにします。その結果、開催した学校では通常より50人〜100人も入学者が増えるという実績を残しています。

アーティストやボランティアは絵画を完成させるまでの期間、村の伝統的な家に泊り込みました。それが木、土、石、ゴーバルの家です。その快適さは、日本人を魅了しました。そのことをワルリ族の実行委員会メンバーに伝えると、「実は、レンガとタイルの家より、木、土、石、ゴーバルの家の方がよかったと思っている」という声が出てきました。

一見良さそうに思えた新しい家は、夏には湿った空気がこもらないよう天井にファンが必要になりました。冬には床が冷たくなるのでヒーターを買わなくてはなりませんでした。もちろん動かすには電気が必要です。さらに家のメンテナンスは自分たちではできません。材料代や人件費がかかり、より多くの収入が必要になります。便利で快適な生活を求めたはずの一歩は、金を使う生活のはじまりでした。

彼らは語り合いました。

日本は経済成長したけれど、そのなかで多くのものを失ったこと。新幹線や高速道路が走り、地方の町は小さな東京のようになったけれど、地方独特の文化は失われてしまったこと。ダムや発電所ができて水や電気に不自由しなくなったけれど山河は失われてしまったこと。あくせく働いて給料をもらっているけれど、本当は何が幸せなのかわからなくなっていること。企業の利益が拡大し、GDPが上昇しても、毎日の生活に笑顔は増えないこと。

一方で、ワルリ族が今なお持っている自然に生かされているという精神、生活文化の豊かさは尊敬に値すること。日本人の日常生活から見ると、決して便利な生活とは言えないし、経済的にも豊かであるとは言えないけれど、本当の幸せを知り、人にも周囲にもやさしい生活を営んでいること。問題があれば村の人たちが寄り合って話し合いで解決し、子どもたちの間にはいじめのようなものは存在しないこと。

そうした語らいの中で、あるプロジェクトが立ち上がりました。彼らの伝統的な家を再生し、そこを拠点にした新たな学び合いの場をつくっていこうという「ノコプロジェクト」です。伝統家屋を残すだけではなく、ワルリ族の生活に学びながら、日本の暮らしに関わるデザインを融合させ、これからの暮らしを考え、発信する拠点をめざしています。それが「ノコハウス」であり「オモヤ」です。これらはボランティアの活動拠点であり、メンバーの対話の場であり、ワルリの文化の発信の場でもあります。

ガンジャード村に暮らすワルリ族の人々の生活は決して便利とは言えないし、経済的にも豊かであるとは言えませんが、本当の幸せを知り、人にも周囲にもやさしい生活を営んでいるように感じます。

地球に住む人類にとって資源は有限で、過剰に利用すると環境の悪化を伴います。農業開発に伴う局所的な環境汚染を避け、人類が後世に環境負荷を持ち越さないようにしなければなりません。そうしたことを頭でなく心で感じているのがワルリの人々なのではないかと思います。家々の壁に描かれていたワルリ画には、森羅万象に精霊が宿るという考え、万物を育む女神を拝していること、農作業が始まる頃に雨乞いの祭りをし、収穫が終わったら神々に感謝を捧げることなどが描かれています。非常に細かく自然を観察し、その中で生き抜く知恵の伝承がワルリ画からは見て取れます。

それは「自然と共生する」ではなく「自然として生きる」ことが当たり前の世界です。共生という言葉のなかには依然として人間と自然を別なものと考える思想が潜み、自然を克服する対象と見ています。一方でワルリ族は、自然は人間を生み出し、育み、優しく見守る存在ととらえているのではないかと思います。

9月のインドでそんな彼らと語らい、水や食べ物について考えてみませんか。

第2回世界森会議/Global Forest Meeting ボランティア参加者募集中です。



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このニュースの地域

インド (アジア/オセアニア

橋本 淳司