社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(以後SCJ)の職員として、2002年3月と7月の2度にわたりアフガニスタンを訪れました。 3月は、SCJの事業段階が北部地域の緊急支援から復興支援へと移行しており、政情は一応の安定をみせ、春の訪れと共に復興の動きが一気に始まっていた時でした。私は、復興支援にむけた日本国内での広報、ファンド・レイジングの企画準備のために、事業候補地(当時)を視察してきました。カブール市内ではストリートチルドレンのための職能学校、聴覚に障害がある子どものための学校および女子のためのノンフォーマル・スクール*を訪問した他、市内およびその近郊や、当時はまだ支援体制が整備されていなかったバーミアン地方の村々の破壊された学校などを視察してきました。7月には、『24時間テレビ』(日本テレビ)の企画で、藤原紀香さんが現場訪問する際の調整員としてロケチームに同行、SCJとして事業を開始していたカブール市内のノンフォーマル・スクールとバーミアンの村を視察してきました。今回のレポートでは、2度の訪問の際に撮影してきた写真を中心に、アフガニスタンの現状と、抱える問題、そこに生きる子どもたちの姿を伝えたいと思います。
目次へ移動 アフガニスタンの『今まで』
目次へ移動 20年にわたる争いの歴史
ソビエト連邦(当時)の侵攻、国内部族による内戦、タリバンによる統治、それへの反抗といった20年以上にわたる戦闘にさらされ続け、国力は弱まり、多くの人々が国外難民・国内避難民となり、国際組織、NGOの運営する難民キャンプでの生活を余儀なくされてきました。
そのうえ、98年より続いていた3年にわたる旱魃(かんばつ)のために、01年には緊急支援の必要性が国際機関より表明され、各種機関やNGOは支援の準備を始めていました。
東方観光局アフガニスタンのページ
http://www.eastedge.com/afghanistan/
アフガニスタンに関する今までの経緯
http://www.savechildren.or.jp/sc_activity/afghanistan/
目次へ移動 直面している日々の生活
カブールの状況
02年3月、カブールに到着し飛行機から降りると、空港のいたる所に無造作に転がる軍用機の残骸や燃え尽きた砲台が目に飛び込んできました。そこで行われた戦闘の確かな存在を感じました。
街を移動していると、溢れ出る人々の姿や再開した市場、再建中の住居などを通して、人々の生活が活気を取り戻し始めているのが見て取れました。同時に、交差点毎の厳しい検問、やたらと市内で目につく軍のトラック、そして何より人々の中にある緊張感がその地にある"安定"の脆さを感じさせました。
子どもたちは、02年3月の学校制度再開により、学校に行き始めていました。一方で、街中では、朝から晩まで働いている子ども、物乞いをさせられている子どもの姿も目にしました。NGOを始めとした各種支援組織は、職能学校やノンフォーマル・スクールを開校して、そうした子どもたちに学ぶ機会を提供しようとしていました。
02年7月、カブールは3月訪問時より安定していたというよりは、むしろ緊張感を増していました。人々の生活基盤整備は進み、教育環境はより改善されていました。しかし、国連事務所や米国大使館付近を中心として各地で散発的におこるテロの危険が、人々に慢性的な不安をあたえていました。
とはいえ、子どもたちは3月の時より活気を取り戻していました。問題を抱える子どもは未だ数多くいましたが、たくさんの子どもたちが何らかの形で教育を受けられるようになり、自分の夢や可能性を、以前より現実的に感じることができるようになっていました。大人たちはテロの危険に不安を抱えていても、希望を実感できている子どもたちは、自分の将来を力強くイメージして日々楽しげにすごしていました。
バーミアンの状況
バーミアンへの道のりは、カブール争奪戦の激戦地であったショマリ平原に始まり、タリバンとハザラ人武装勢力の戦闘地域を通過します。そこでは不発弾、地雷が多数放置されたままになっており、200キロにわたる道のうち、3月に地雷の撤去が終わっていたのはカブールよりの数キロのみで、あとは地雷原をあらわす赤い石にはさまれた道が延々と続いていました。7月に再訪した時、数十メートルしか撤去は進んでいませんでした。この地域からの地雷の完全撤去には、相当な歳月を必要とするでしょう。
3月訪問時、カルザイ政権と地元のハザラ人武装勢力の関係はまだ強固ではなく、臨戦体制を全く解いていませんでした。街中で市場は再開されていましたが、兵士たちがいたるところにいて、人々の緊張度はカブールよりも遥かに高いものでした。
ちょうどバーミアン滞在中に、ハザラ人武装勢力指導者ハリリ氏の演説に居合わせたのですが、兵士たちが銃を持ち気勢をあげる様は、「戦国武将の下に集う野武士たち」さながらでした。
村々では、国際援助機関の支援により厳しい冬をこえ、ようやく復興にむかっていました。村の人々にとって、地域の覇権争いなどは何の興味もなく、日々の生活の安全と、子どもたちの幸せな未来のために何ができるのかを必死に考えるだけでした。
7月、再び訪れた村の人々は、ようやく戦闘の終了を受け入れ、子どもたちは大人たちの安心を肌で感じ、楽しげに学校に来ていました。人々は住居などの生活基盤を着実に再建させていました。しかし、安全と信じて生活圏を村の外まで拡大した結果、不発弾、地雷による被害が増加していました。人々は不発弾、地雷に関する満足な知識を持たず、自分たちの生活圏のすぐ近く(場合によっては真っ只中)にある危険に対して、無自覚にさらされていました。
バーミアンの状況(2005年)
http://www.savechildren.or.jp/sc_activity/afghanistan/norika-project20050601.html
目次へ移動 子どもたちの『今』
目次へ移動 ずっと学校に行けなかった子どもたち
カブール
宗教的な見地から行動を制限されるのことの多い女子は、自然と恥ずかしがり屋になっているのかと思っていましたが、仲良くなると非常に人懐っこく、よく笑う、元気な子たちでした。 カブールでは、女子の教育に対する意識も高く、ノンフォーマル・スクールなども整備されているので、女子たちは色々な可能性にむけてがんばっています。彼女たちの「将来なりたい職業」は、先生だけでなく、医者や技術者、政治家までさまざまです。
バーミアン
02年3月にバーミアンを訪れた時には、コミュニティの人々の警戒心も解けていなかったので、なかなか女子に会わせてもらえませんでしたが、7月には村中から集まってきた女子たちが、大騒ぎで迎え入れてくれました。しかし、女子の可能性はカブールに比べればまだ限られたものです。今、女子に見ることができる「将来なりたい職業」は先生くらいですが、これからその可能性はどんどん広がっていくでしょう。自分の娘を紹介してくれ、「ウチの子は頭が良いから、絶対すごい人物になる。」と自慢する父親を見れば、そう確信できます。
目次へ移動 生きていくために働かなければいけない
カブールの街には、パン屋で売り子をする子ども、金物屋でナベを磨く子ども、車屋でタイヤを運ぶ子ども、道端でタバコを売る子どもなど、いろいろな仕事をしている子どもの姿を見かけます。彼らは働くことが既に生活の一部になっています。大人を手伝いながら仕事を学び、将来は自分も同じ仕事をするということに全く疑問をもっていません。
子どもたちに、日々の仕事をやめさせることはできません。しかし、仕事の合間なら、学校に行き勉強をする時間をつくることができます。また、「絨毯や木工細工をつくる技術を身につければ、より高額な収入を得ることができるようになる」と納得して、子どもが学校に行くことを許す親もいます。親たちは、決して子どもを道具のように考えているのではありません。子どもの可能性を広げるために教育が持つ意味について十分認識している大人もいます。彼らなりに必死で子どもの将来を考えています。
ただ、生活環境が厳しいために、また自分たち自身も教育を受けていないのでその重要性を実感できず、子どもを学校に行かせなくなっているのです。子どもたちには、公式の学校だけでなく、ストリートチルドレンのための職能学校や、ノンフォーマルな識字学校など、さまざまな選択肢が整えられ始めています。
目次へ移動 この前までここは戦場だった
3月にバーミアンの村を訪ねた時、好奇心を抑えきれない男子たちがワイワイと出迎えてくれました。子どもたちは、ニコニコしながらさまざまな話をしてくれました。戦闘を目の当たりにした凄まじい経験も含まれていました。子どもたちにとっては、戦闘の記憶はつい先日の、生な実体験でした。ただ、話していくうちに自分が子どもたちの"強さ"を誤解していることに気づきました。子どもたちは、ニコニコ話してくれてはいましたが、その戦闘の記憶は全く解決されていない、"怖い"記憶だったということです。子どもたちはあまりに大きく、はっきりと日常に入ってしまった"怖さ"を表現できなくなっているだけで、決してその"怖さ"に慣れた訳ではなかったのです。何人かの"怖い"記憶を聞いている時、子どもたちは不自然なほど没個性的に『怖くて悲しかった』という感想しか話してくれず、それは何だか誰かに貰った言葉のようでした。
7月に同じ村を訪れた時、ようやく戦闘が終わったことを実感し始めた大人たちの気持ちに感化されているのか、子どもたちは以前よりさらに元気な笑顔で迎え入れてくれました。今回は女子も一緒に歓迎してくれました。そして、人々は明日への活力に満ち溢れていました。しかし、同じ時期に、村から車で30分程しか離れていないところでバスが地雷をふみ、乗員約20名が死亡するという事件がおきました。乗客の警告を無視して、運転手が地雷原の危険性のある地帯に車を進めたことが原因でした。戦闘がなくなり、人々はその恐怖からはとりあえず解放されました。しかし、戦闘の残した悪意は、今なおそこに住む人々を、子どもたちを危険にさらし続けています。
目次へ移動 みんなで作る『これから』
目次へ移動 「どんな未来にするのか」を考える大人たち
私が現場で見たのは、子どものために必死に考え、努力しているごく当たり前な親の姿でした。その地に住む人々は私たちと同じ平和な生活を望んでおり、そのために自分にできることを始めようとしています。
しかし、彼らは教育を受けたことがないので、教育を受けることで自分たちの子どもにどういった可能性が広がるのか想像できずにいます。けれども、彼らは自分たちの世界がすべてとは思っていません。自分たちの知らない、違う生活・世界・考え方があり、子どもたちはそれと繋がっていくことで、もっとよいことが起こるのではないかと考えています。そのために、異国の人であるNGO職員の話を聞き、同じアフガニスタン人とはいえ全く違う土地から来たローカルスタッフの忠告を素直に受け入れ、「子どもたちにとって何が必要なのか」を必死に考え続けています。
目次へ移動 「これからどうなれるのか」を考える子どもたち
普段は元気に遊び、日本にいる子どもたちと何ら変わることはありません。しかし、つい最近まで激しい戦闘の現場で恐怖の中にあったその記憶は消え去ることなく、子どもたちの中に生々しく残っています。だからこそ、彼らの思う将来の夢は真剣です。
子どもたちは学校が大好きです。学校の中では、地雷を心配しなくても良いですし、皆で一緒に楽しい時間をすごすことができます。いきいきと勉強している子どもたちを見ると、改めて『学ぶ』ことは楽しいことだったと思い直します。そんな子どもたちの教材の中に、地雷を踏んで怪我をしている様子を描いた生々しい地雷回避教育の紙芝居などが含まれる現状が、少しでも早く改善できればと思います。
目次へ移動 「自分に何ができるのか」を考える私たち
テレビを始めさまざまなメディアを通して、大量の情報が日々流れ込んできます。いまや、世界中で、何もわからない、関係がないと言い切れる国はないでしょう。しかし、世界中のあらゆる問題の手助けができるほどに、私たち自身の生活に余力があるわけでもありません。
基本的には、自分たちのことは自分たちで責任を持つべきだと思います。問題があれば誰かの助けを待っているのではなく、自分で何とかしようと努力し続けるべきです。しかしながら、自分たちだけではどうにもならない状況があるのも事実です。私たち一人一人の力は小さいものですが、『支援のための力を提供する人』、『提供された力を集める人』、『集まった力を確実に現場で活用する人』...それぞれの分野で自分にできる協力をだしあえば、かなり大きな成果を作り出せます。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
http://www.savechildren.or.jp/support/
目次へ移動 さいごに
私の出会ってきたアフガニスタン人のほとんどは「良い人」たちでした。みんな親切で、優しく、社交的でした。行く前に予想していた"偏狭な視野しか持たない自己過信気味な人"は、思っていたよりもずっと少数派でした。では、なぜ、かの国では戦闘が絶えず、人々は平和な日々を過ごせなかったのでしょうか。
私は、本当に気の良い社交的なおやじが、ニコニコと心から正しいと思いながら『私は神のみ旨のままに戦闘してきた。神の敵は打ち倒すべきなのだ』と話している時に、その理由の一端を垣間見たような気がしました。きちんと教育を受け、色々な視点があることを理解していないと、目前にある問題解決の方法を、自分を疑いながら考え直すことはできません。"一つの正義"だけを信じる人は、それを理由に何だってできます。
アフガニスタンの子どもたちが、『たとえ神のためでも、戦闘なんて意味ないし、くだらない』と思ってくれるかどうかはわかりません。それは私の思いですし、それが本当に正しいかなんてわかりません。しかし、いろいろな考え方があることを知り、考えることができるようになるために、教育の持つ意味は大きいです。私にできることは、子どもたちのために教育を始めとしたさまざまな可能性への機会を作り出していくことだと考えています。
谷口隆太 プロフィール
筑波大学第三学群国際関係学類を卒業後、1999年に株式会社博報堂に入社。
メディアおよびマーケティング企画担当の営業として、デジタルエンターテインメント業界および金融業界(特にEコマース分野)の会社を担当する。
2001年に博報堂を退社。社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(以後、SCJ)に所属する。
SCJでは国内事業課で、国内の広報およびファンド・レイジングに関する企画・運営を担当する。
取材・写真: 谷口 隆太