2003年11月27日、「第一回環境成長経済フォーラム」が開催されました。(主催:NPO法人フューチャー500、(株)イースクエア、協力:Think the Earthプロジェクト、後援:日本経済新聞社)環境成長経済とは、Ecological Market Economyの訳。地球環境に負荷を与えることなく競争力を高め、経済を活性化させる新しい市場経済の枠組みのことです。本フォーラムでは「ミスター円」こと榊原英資氏、「1秒の世界」の山本良一氏、「マニフェスト」の北川正恭氏らが講演を行い、企業の経営者を中心とする約80名の参加者が議論を交わしました。今回のリポートは、このフォーラムの講演内容を抜粋してお届けします。
目次へ移動 環境成長経済フォーラム
2050年には地球の人口は90億人を超えると予測されています。このままアメリカを代表とするマーケット至上主義経済を全ての国が追求すれば、人間社会が地球環境と共存することは不可能だと言われています。そこで、新しい経済の枠組みを模索する動きが生まれています。市場原理こそが何にも優先されるとするアメリカ型の市場経済(Market Economy)に対して、そもそも市場は社会のためにあるべきとするヨーロッパ型の社会的市場経済(Social Market Economy)、さらに人間社会だけでなく地球環境にまで視野を広げたEcological Market Economy。このフォーラムでは、Ecological Market Economyを「環境成長経済」と訳し、新しい経済、新しい経営の視点を参加者がともに学び合うことを目的に行われました。
環境問題を語る人は、これまでは反企業、アンチマーケットでしたが、いまは「環境対経済」という構図から脱却しつつあります。個人の環境に対する憂慮を反映できない企業は、存続できなくなるはずです。既存の経済学を、環境に配慮しながら、なおかつ経済的発展をするというモデルに変えていかなければならないという考え方には賛成です。
現在の資本主義経済は16世紀から始まったと言われています。その近代資本主義が終わりつつある、あるいは既に終わっているというのが現在の状況です。このことは哲学者や未来学者が30年ぐらい前から言ってきたことですが、企業や国のレベルで実感できるようになってきました。しかも環境という面からだけでなく、様々な側面から産業資本主義は終わっているという認識が必要になってきています。いま我々が見ているのは、200年から500年に一度の大きな歴史の転換であります。この認識が非常に重要で、企業もこの5年から10年で大きく変わらざるを得ないと思います。
今までの企業というのは、オーガナイズすることによってある種の信用を獲得し、巨大な資金を調達し、大量生産をし、大量消費を促進する形でコマーシャルを流し、消費者に消費をさせ、そして大量廃棄を行ってきました。このような社会が16世紀から作られ、19世紀・20世紀にピークを迎えました。そして20世紀後半からこれが滅びつつあります。環境という側から限界がきたということと同時に、巨大な技術革新がおこっているということが一方であります。情報通信革命やバイオテクノロジーが大変な進展をしています。この強烈な技術革新によって、今までのような形での大量生産・大量消費を回避することが事実上可能になっています。消費者のニーズというものを、リアルタイムで受けて、ある種の注文生産をすることができる。また技術的にも、多品種少量生産をすることが可能になってきています。
現代の企業にとって必要なのは大量の人ではなく、技術、ブランド、情報です。経済が回復したからといって雇用が回復するわけではありません。むしろ企業は雇用を切ることによって収益を上げる形をとっています。いい大学を出て、いい企業に就職し、会社のために働いて、大量生産・大量消費の一角を担って、それで給料をもらって一生を終えるパターンは、これからはもうありません。これは19世紀・20世紀型近代産業主義の元での人間の生活のあり方でした。では、その余った人がどこに行くのか。そこで、新たにNGOやNPOのような組織が生まれてきています。いままでの企業とはまったく異なり、利益最大化(プロフィットモーティヴ)に必ずしも合意しない人たちがグループを作り、様々な活動を行っている組織です。これからは企業中心の社会からNPO中心の社会に変わって行かざるを得ない。これは「変わるべき」という話ではない。「変わらざるを得ない」という話です。
これから20年、30年先には企業のあり方はもちろんですが、人々の生活も大きく変わっているはずです。自分の属したい仲間とともに、自分のやりたいことをやりながら、自分の生まれた土地で自然とともに生活するというライフパターンに戻っていかなければならないのです。一極集中から分散型社会の実現です。
人々の価値観も少しずつ変わりかけています。特に日本のような成熟した先進国ではこれ以上物はいらないという感覚があります。みんなそこそこのものは食べているし、そこそこの立派なものは着ています。まあ、ちょっといいテレビを買いたいとか、ちょっといい携帯を持ちたいとか、その程度であって、物には完全に充足しています。そういう中で、実は個人の意識も大きく変わってきています。この大きく変わってきている意識をバックアップするようなシステムを企業、国、政治がどう作っていくのか。こうした新しいタイプのシステムを作っていく先端的なところに日本はいるのだということを意識しなくてはいけません。もちろんヨーロッパは、環境という意味ではとても進んでいますが、しかし我々もまた、非常に豊かに成熟した中産階級を中心とした社会を作ったわけですから、我々がある種の選択をすれば、新しいタイプの循環型社会を作ることができるはずです。
たとえば、日本は世界に類を見ない平和で美しい世界を構築した歴史があります。江戸時代は国という単位で250年以上にわたって平和を維持し、庶民が自然を愛で、しかも分権国家であり、循環型社会でもありました。この時代から学ぶことは多くあります。
実は、日本ほど一極集中が進み、急速に自然破壊を進めた国はありません。どこもかしこもコンクリート漬けにしてしまい、全体としての国の美しさをなくしてしまった。我々が醜くしてしまった。もともとは我々はそういう国民性ではなかったはずです。
岩手県の増田知事と一緒に"壊す公共事業"をやりましょうと言っています。川の護岸工事のコンクリートを全部はがしてしまいましょうと言っています。実は作るよりも壊す方がお金はかかります。しかしこういうことをそろそろやっていく時期がきているのです。それは当然自然に帰すということなのですが、いろんな意味で我々はやらざるを得ないところまで追いこまれています。また、やることができるステージまで来ているのです。国の形を変えなくてはいけない。これは日本だ けではなく、世界的な問題です。それがそろそろできるような環境に来ているのではないかと思います。
まず結論から申し上げたい。私は「環境成長経済」しか解決策はないと考えています。例えば、中国は未発展の状況にある莫大な数の人々を抱えながら、猛烈な経済発展を遂げています。彼らは成長経済を進めるしかなく、ゼロ成長なんて今後50年はありえません。したがって環境に徹底的に配慮した市場経済あるいは成長経済を我々は全世界的に押し進めざるを得ないと思います。
前提としては、もちろん民主主義と市場経済と科学技術の飛躍的発展。これがキーワードではないかと思います。特に市場経済から誰もリングの外におりることができません。科学技術の発展を抑止することは誰にもできません。これらは自立的に発展をとげていきます。市場もそういう要素をもっています。そうすると、どういう方向に科学技術・市場経済を発展させていくか、ということがきわめて重要な問題になります。そこで私は補助金から税金から法律規制から徹底的に強化して激烈な市場競争を起こし、サステナブルフューチャーを作りだすという戦略が良いのではないかと思っています。日本経済の再生という問題と、日本の産業市場のグリーン化を同時に達成するということで、ちまたでは環境立国とか環境大国とか様々な言い方がありますが、これはまさにこのエコロジカル・マーケット・エコノミー(環境成長経済)を全力をあげて推進していくということなのです。
なぜ我々が限界になっているかということは、明々白々な事実です。申し上げるまでもありませんが、学問的にいうと生物の光合成によって固定された炭素の生産量に対して、すでに4割を人類が独占的に使ってしまっているという事実とか、あるいは1秒間に2.4人ずつ人口が増えて、年間7700万もの人間が増えていますが、この人たちに必要な2130万トンの食物を供給するためには720万ヘクタールの農耕地と琵琶湖の年間貯水量に匹敵する213億トンの水が必要となります。これだけ見ても、この状況を続けていくことは不可能なのです。
また物理的なサステナビリティのほかにソーシャル・サステナビリティという問題があります。ワールドウォッチのデータによれば、年間50億ドルあれば世界中で識字率100%が達成できる、120億ドルのお金があれば清潔な水の供給が可能になる、190億ドルで飢餓と栄養失調が解消され、240億ドルで土壌の侵食が防げます。ではそのようなお金がないのかというと、2001年の世界の軍事支出は8,390億ドルでした。こういうことなのです。我々はお金の使い方を明確に誤っています。
もうひとつの問題は、経済の外部性の問題。我々は地球生態系になにからなにまでお世話になっていながら、そのコストが実際の市場価格に反映されていません。これにはいろんな批判もされていますが、経済学者やエコロジストが地球生態系のもたらすサービスと財を貨幣価値に換算してみたところ、年間36兆ドルから58兆ドルになりました。世界のGDPは98年には39兆ドルでした。世界GDPに匹敵するような恩恵を生態系から受けているにも関わらず、これが市場価格に反映されていないところに大きな問題があります。
ではどのように問題を解決するかというと、いわゆるオールド・インダストリアル・エコノミーをニュー・サービス・エコノミーへ変えていかなくてはならないというのが、特にこの10年間の議論の結果です。これも明確であり、どうすればいいかというと、製品の交換価値より利用価値を重視していくということです。
そのためには、メーカーはプロダクト・セールスからファンクショナル・セールスへビジネスを変えていく。我々消費者のほうも製品はサービスを提供する機会と考えて製品を所有するのではなくサービスを享受することに変えていかなくてはなりません。それの手助けになるのが環境に配慮した設計生産・エコデザインであり、物をサービスでおきかえるサービス化であり、ITの活用であり、さらには公共財の充実です。これを徹底的にやること。それを支えるために、税や補助金のつけ方を変える、あるいは法的規制を徹底的に強化していく。
その中で技術とかマネージメントでは何をすればいいのかも明確になっています。ひとつは脱物質化、あるいは脱物量化という戦略をとっていく。つまり省エネ・省資源を究極的に押し進める。あるいは環境廃棄物の排出を下げる。それから物質を変えていく。物質の代替化をする。化石燃料に頼らない自然エネルギーを使うなど、エネルギーの脱炭素化を行なう。この3つの戦略を究極的に押し進めることによって我々は新たな環境の技術革新をおこしていくことができます。
私は環境規制派です。入り口と出口という観点からすると、今日本がやっているのは野放しです。日本の環境政策というのはこの十数年、ゴミ政策に偏向してきました。何を作ってもあなた方の自由です。しかし捨てるときにちょっと注意してください、というのが現在の環境政策です。これではダメなんです。ゴミになるような物を作らせない。大量にエネルギーをつかうような(例えば)ビルは建てさせない。入り口側で締め上げる。エコデザインを義務化しなければいけない。また製品を適切に選択させるようにするためには環境情報の公開を義務化させなくてはいけない。これが重要で、これをやればすばらしい環境技術、環境経営を誘発できます。市場で激烈な競争をさせること。これが私の12年間のエコマテリアル研究から得た重要な教訓です。
今回の総選挙(2003年秋の衆議院選)で各党の環境政策を見てみましたが、残念ながら環境マニフェストの部分は非常に弱いと思いました。まだ環境と経済の統合とか、我々の将来の日本の国家ビジョンをどうするか。我々のライフ・スタイルのビジョンをどうするかというところの議論がマニフェストの中には十分説明されつくしてはいなかったと感じています。是非こういうフォーラムでの議論の結果を総合的な環境政策・環境立国構想として、各党が容易に模倣できるような形で社会に提供して、次の参院選までに、環境マニフェストの模範を提案してもらえるといいのではないかと個人的に感じています。
戦後日本は物が不足していましたので、物を充足しようということが圧倒的な中心テーマになりました。未成熟を成熟にしようということになるので、そのためには中央集権がいいということです。そして官僚主導ということにする。そのときの思想は、コンシューマーとかデマンド・サイドはいくらでも需要があるので、当然供給側であるサプライ・サイド強化になります。物不足から物充足という政策で、実は1985年頃までは本当にいい効果だったと認めていいと思います。
しかしみんなの努力の結果、物が充足し始めると、今後はサプライ・サイドよりはデマンド・サイド、コンシューマー・サイドのほうが圧倒的に強くなります。ここで経営理論ではカスタマー・ファーストやカスタマー・サティスファクションが出てきて、それをいち早く取り入れた企業こそが勝ち組になっています。
一番遅れたのが政治・行政の世界であって、いわゆるパタナリズム(paternalism)、つまり庇護する側と依存する側、両社がうまくかみ合って癒着し、個別利益の最大化を図ってきました。官と民もそうです。農林水産省と農協の関係がそうです。厚生省と医師会の関係がそうです。中央と地方もそうです。320万人の地方公務員が、まるっきり中央官僚の役人の下請けになれば、イノベーションがおこるわけがありませんし、そこに達成感とか自己実現が起こるわけがありませんので、やはり官官接待が上手な人が出世するという俗人的なパラダイムで動いてきたわけです。まったくコンシューマーはアウトサイダーになったということです。
「やっぱりこんなもんだ」と思いこんできたことを、もう1回全員が疑い、自立した地球市民にどうなれるか。日本中全員がNPOになればいいと思います。いわゆる自立した地球市民として、そしてどうやって補完しあっていくかというガバナンスに変ってこないと、「官がお世話してあげますよ」という時代は明らかに終ったということを考える時に来ています。
我々は選挙とはそんなもんだ、政治とはそんなもんだ、と思いこんできました。僕はそれをマニフェストという点で一点突破してみようと考えました。
小泉さんは「公約なんて破ってもたいしたことではない」と言いました。民主主義の一番の代言者たる総理大臣がこう言ったときに日本のマスコミが本当に怒ったか。日本の国民が怒ったか。みんな笑ったんです。それはみんな同罪だったからです。「そうだよな。いままでの公約は選挙のための公約だった。お互い破ろうね。」こういう約束だからマスコミは怒らなかったのです。国民もそうだと笑ったんです。実はこんな程度の民主主義国家だったのだということに本当に気がつかないとby the people は起こりえません。マニフェストによって、「あっそうか、破るための公約から守るための公約もあった」ということやりたかったわけです。
守られるべき公約と破ってもいい公約の違いはどこかというと、これは選挙が終ったあと事後検証が可能かどうかということに集約できると思います。今までの公約は公の約束というよりは口の約束で「口約」でした。だから事後検証可能ではなかったのです。ですから達成すべき目標とか財源とか期限を文字と数字に残してください、それをどんどん事後に検証してきますと言いました。そういうことになると、政策を選ぶ選挙ということになりますから、契約書をよく見てくださいという選挙になるわけです。だれが幹事長になったとか、若いからとかいうのは、ほとんど政治的には意味のないことでポピュリズムに過ぎません。
これまでは国民の責任を問わずに、猫が死んだから取りにきてくれと住民が言うのが民主主義だと思っていました。右肩上がりというパラダイムの中で、打ち出の小槌をふり続けることが政治行政でありました。結果710兆円の借金ができたわけですが、これは政治も行政も悪かったけれども国民も悪かったのです。このことにはっきりメスを入れない限り、衆愚政治が続きます。マニフェストの意味合いは有権者、国民の責任もはっきり問うということです。
今日のメインのテーマである環境市場経済、環境成長経済をどうするかという問題の認識、価値の認識は共有されたと思います。では共有した認識をどうやって運動、ムーブメントにしていくか。そして実績をあげるかということが、大事です。環境立国とか環境大国という大コミットメントのもとに本当にみなさんが立ち上がる。by the peopleによって政府は必ず動いていくと思います。政府が動きにくかったならば、市長さんや知事さんとみなさんと一緒に力をあわせて、地域から変えてもいいと思います。
複雑系の逸話で「北京の蝶々」という話があります。北京で一匹の蝶がはばたいたことによってできた小さなゆらぎが、ニューヨークにハリケーンを起こすという話です。ミクロの揺らぎがマクロを動かしたということ。同じようにミクロの世界の動きが、日本人のマクロを動かすのは簡単なことだと、実は私は本当にそう思っています。この中でみんなが北京の蝶々になって、パーッと飛べば100人ぐらいになり、100羽が200羽、200羽が400羽となり、1年内外で1000万人運動が起こってくるのではないかという気がします。
私もマニフェスト運動を手がけて、半年で日本が変わりはじめている手応えを感じておりますが、環境の問題も同じだと思います。このフォーラムで出せるコミットメントがいかに気高いものか、ここの運動がいかに内発的にすごいエネルギーがあるかということによって、この国が21世紀をリードできるようになるのだ、ということを期待をこめて申し上げたいと思います。
目次へ移動 終わりに
今回のフォーラムで、元々経済官僚として第一線で活躍をしてこられた榊原英資氏、三重県知事としてマニフェスト政治を成功させ、退任した後は国会を動かし始めた北川正恭氏、そして科学者として企業の環境経営、日本の環境政策の必要性を説く山本良一氏、それぞれが異なる立場であるにも関わらず、力のある言葉で「環境成長経済」の必要性と必然性を語ったことは、大きな時代の変化を感じさせるものでした。
このフォーラムは主催者であるNPO法人フューチャー500と(株)イースクエアの木内孝氏、ピーター・ピーダーセン氏らの尽力によって実現に至っています。Think the Earthプロジェクトは「エコロジーとエコノミーの共存」をテーマとして掲げ、プロジェクトを立ち上げ活動を行ってきましたが、このテーマに答が用意されているわけではありません。「エコロジーとエコノミーの共存とは何か?」を常に問い続けることが最も重要だと考えています。その問いを考える場として、このフォーラムへの参加は絶好の機会となりました。
今後も第二回目のフォーラムの開催がロンドンで予定されており、さらに議論がグローバルに深化していくものと期待しています。また機会があったら報告したいと思います。
さて、このフォーラムに合わせて、世界の環境オピニオンリーダーに対して、二つの質問が送られました。(1)「近代社会の方向について、最も懸念していることは何か?」、(2)「環境成長経済の創造のための行動計画は何か?」。この質問に対して、エイモリー・ロビンス氏(ロッキーマウンテン研究所所長)、レスター・ブラウン氏(アースポリシー研究所所長)など50名近い環境オピニオンリーダーから、優れた知見が寄せられました。また、このフォーラムの成果として「環境成長経済宣言」のドラフト版も出されました。
これらの内容は下記ホームページからダウンロードできるようになっていますので是非参考にしてください
http://www.e-squareinc.com/reports/
講演者の関連著書紹介榊原英資さん
「デフレ生活革命」(中央公論新社)
「為替がわかれば世界がわかる」(文藝春秋)
「分権国家への決断」(毎日新聞社)
「新しい国家をつくるために」(中央公論新社)
山本良一さん
「1秒の世界」(ダイヤモンド社)→詳しくはこちら
「環境技術革新の最前線」(日科技連出版社)
「サステナブル・カンパニー」(ダイヤモンド社)
「戦略環境経営エコデザイン」(ダイヤモンド社)
北川正恭さん
「自治体再生へ舵をとれ」(学陽書房)
「知事が日本を変える」(文春新書)
「組織はこうして変わったー高塚猛と北川正恭の革命論」(到知出版社)
「改革断行―三重県知事北川正恭の挑戦」(ばばこういち ゼスト)
リポート Think the Earthプロジェクト 上田壮一