茨城県に広がる日本で2番目に大きい湖、霞ヶ浦では1970年代以降汚くなってしまったこの湖を浄化し100年後はトキの戻ってくる大自然にしよう、という取り組みがおこなわれています。その名も「アサザプロジェクト」。水生植物のアサザを使って生物多様性をよみがえらせる、子供達が主役のプロジェクトです。今回、小学校のビオトープでの総合学習を取材し、代表の飯島博さんにお話をうかがいました。
目次へ移動 湖が教えてくれたこと
霞ヶ浦は、かつては豊富な魚と美しい水辺で知られる湖でしたが、戦後の発展とともに水質汚濁、自然破壊が進み、1970年代にはアオコが大量発生するほど汚染されてしまいました。これに対して国、研究機関が何十億円もかけて対策してきましたが、目に見える効果はなく、1990年代には行き詰まってしまいました。
中学時代から「将来は環境問題に関わりたい」と考え、行動してきたアサザプロジェクト代表の飯島博さんは、それを見ながら解決策を考えていました。そして、気づいたのが「流域全体を見る目がない」ということ。各地で対策はおこなわれていたのですが、湖を全体としてみている人は誰もいませんでした。同時に、市民が参加しながらおこなう市民型公共事業の必要性を感じました。そこで、飯島さんは湖の岸辺250kmを歩くことに。
「湖全体を見るために、湖の時間を共有したかったんです。地図を片手に小中学生と1日40〜50kmを歩きました。一緒に歩いた子供たちは何を見ても喜び、いろんなことに気づいてくれました」 これらの小さな発見=再生の芽を探す作業を、いつしか「宝探し」と呼ぶようになりました。湖の時間を受け入れ、その中に入り込んで対話しないと本当の姿は見えてこないと実感した飯島さん。最終的には湖を4周したそうです。
「そんな調査の中でアサザに出会いました。霞ヶ浦の沿岸は護岸工事で地形が変わり、波が荒くなったためにヨシ原などが削られ、水草が流れてしまったところが多かったのですが、アサザのあるところだけは違った。アサザ群落のある部分だけ、波が弱くなっていたんです。これを見て、アサザの持つ波を弱める働きを活かせば水辺が再生されるのではないか、とひらめいたんです」湖再生の答えは、湖の中にありました。飯島さんは1995年にアサザプロジェクトを発足。自分たちで湖にあるアサザの種を採り、別の場所で育て、育った株を霞ヶ浦流域に植えはじめました。
目次へ移動 アサザが生物多様性を作り出す
アサザはどのように水辺を再生するのでしょうか? 昔から日本の水辺で育っていたアサザは、陸上、水中の両方で育つ植物で、種は岸辺の土の中で芽吹き、季節の変化とともに起こる水位上昇により水中で生活するようになり、春、夏に水中で花を咲かせます。アサザは特に夏に光合成で新しい葉っぱを次々と作るのですが、そのためには窒素やリンが必要。そこで、水質汚染の原因となっている窒素やリンをどんどん吸収します。さらに、葉っぱの半分が虫や水鳥に食べられることで窒素やリンが虫や水鳥の体内に運ばれ、糞や死骸として陸に戻り、栄養分となります。こうして水中から窒素が取り除かれるのですが、その量は全体のアサザの量の約半分にものぼります。
しかし、本当の目標はアサザで「水質をきれいにすること」ではありません。湖全体で水質をきれいにできるようにするのです。 真の価値はアサザ群落をきっかけとして人々が自然のしくみを理解し、湖への働きかけをとおして生態系が豊かになり、生物多様性がよみがえることにあります。アサザプロジェクトによると、アサザを植え付けてから最初の10年に、アサザ、アシなどが定着しカイツブリやオオバンなどの水鳥、ギンヤンマなどのトンボが生息するようになります。20年後には沖に向かって植生帯が広がり、岸辺にはヤナギ林ができはじめます。鳥や昆虫の種類も増え、夏にはカッコウが、冬にはマコモを食べにオオハクチョウがやってきます。そして、30年後には霞ヶ関全域でアサザが植えられ、植生帯がさらに広がり、雁の仲間である国の天然記念物オオヒシクイが越冬しにくるようになります。最終目標は、50年後にはツルが、100年後にはトキが来るほど生物多様性のある水辺をもう一度作りあげることです。
目次へ移動 「多様性」と「子供が主役」がキーワード
アサザプロジェクトは生物多様性に学び、お互いの多様性を認め合い、様々な立場の人たちとつながることで大きく発展してきました。1995年の発足から12年、現在までに関わった人は13万人以上にのぼります。
「もともとアジア、日本では、欧米のように自然と人間を対立するものとしてとらえ支配、管理するのではなく、多様性を活かしながら一体化するという考えがありました。だから日本の自然観には常に働きかけの発想があります」と飯島さんは語ります。その典型が里山。人も自然の一部として間伐などをおこない森の中に定期的に日光を入れたから、タカやフクロウなどの多様な動物や植物が住む森が育ちました。このような「生物多様性を生み出してきた働きかけ」という発想は、自然と調和した社会システムにも活かせると考え、アサザプロジェクトは様々な企業、地域、行政に対しても、「破壊、干渉ではなく生物多様性を生み出す働きかけへの転換」を促す事業の提案をおこなってきました。
この時、意識したのは「否定をしない強さ」。行政、企業、教育関係、どんな立場の人と関わるときも否定ではなく、まず相手の存在を認め合いながらネットワークを広げてきました。また、中心となる存在を持たない生態系から学び、お互いの間を隔てている「壁を、膜に変える」こと、そして既存の考え方を見直して「新しい様式を生み出すこと」も大切にしてきました。
これらの考えを実践するためには、近代化の中で出てきてしまった考え方の壁をいったんはずし、別の読み方をする柔軟な姿勢が何より重要です。元来、こういうことが得意なのが子供。だから、アサザプロジェクトは子供が主役なのです。「子供と企業、子供と行政、子供と研究者という組み合わせはすごく創造的になれる組み合わせです。子供は口ごもります。口ごもることは伝えられないもどかしさがあること。自分の言葉を見つけ出そうともがいている姿です。口ごもった末に出てきた答えは、環境問題解決への新しい方法になるのです」(飯島さん)
目次へ移動 授業の様子〜子供が主役でワクワク!
では、子供達はどんな活動をしているのでしょうか? 2007年7月18日、茨城県土浦市の土浦第二小学校の4年生の総合学習の授業にお邪魔しました。アサザプロジェクトの大きな柱のひとつが学校と一緒にプログラムを考え、授業をおこなうこと。今まで茨城県内170の小学校と、秋田県や東京都内の小学校で実施してきました。霞ヶ浦を囲むようにある小学校のビオトープで、子供達自身でメダカ、カエルなどのすみかを考え、設計し、いかに多様な生態系ができるかを学んでいます。そして、ビオトープで育てられた水草を霞ヶ浦に供給し、アサザプロジェクトに大きく貢献しています。
今回の授業の舞台はビオトープと理科室。「今日は、みんなに生き物とお話する方法を覚えてもらいます。ここには霞ヶ浦からきた生き物や、その他にも、もっと遠くの台湾、沖縄などから海を渡ってくるトンボがいます」という説明の後、子供達は5名くらいの班に分かれて網を使って生き物を探しました。
その後は理科室でスケッチする時間。「みんな、よく見てかこう。絵をかくと、気づくことがたくさんあります。生き物の体のつくりは暮らしやすみかと関係しています。たくさん間違ってもいいんだよ。たくさん間違ってきづいた人が、今日1番得する人だからね。」の声とともに一人ひとりがスケッチ。
10分間のスケッチの後は、黒板を見ながら昆虫の体のつくりについて講義がありました。
ポイントは「暮らしと住処が変わると、体の作りも変わる」こと。「小さいビオトープは世界とつながっている。みんな、地図を片手に夏休みにぜひ、生き物の道を調べてみてください」というまとめで締めくくられました。
最後は質疑応答の時間です。生き生きとした顔つきの生徒から「2学期も来てくれますか?」との質問も。飯島さんが「みんながビオトープのまわりの生き物の道を調べて、土浦の街を生き物いっぱいにする方法を考えてくれたら、来ます」と答えると「楽しかった!また来てください」という元気な声がかえってきました。
この授業は住み良い暮らし、環境というテーマの総合学習の一環で、子供達の「もっと土浦、特に霞ヶ浦について勉強したい」という声に応えた授業。「こういう体験をしたことがない子が多いと思うので、また来てほしいという想いを持ってくれてよかった」と担当の小澤先生は感想を寄せてくださいました。2学期からは、夏休みに調べた生き物の道をもとに、土浦をよりよい環境にする提案を作り上げる予定だそうです。
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新しい時代の様式を生み出していきたい
〜どんどん広がるアサザプロジェクト
飯島さんによると、こうした授業の後は子供達の空間の見方が変わるそうです。水辺も街も違って見るようになり、都心部でも生き物の移動を考え、生き物の道を描けるようになり、どんな都心部でも点在している緑地をつなげて見られるようになり「都市は生き物がいなくてだめ」ではなく「何かいる。だから、あきらめない」と考えるようになるそうです。
こうした学校での総合学習が市長への提案、環境改善につながった事例もあります。茨城県の谷津田では、小学4年生の時に谷津田のことを詳しく調べ、よびがえらせる方法を考え、牛久市長を呼んで提案しました。それが受け入れられ、谷津田再生プロジェクトを子供達が中心となって進行。国交省に提出する書類も担当者に研修してもらい自分たちで作成し、地元説明会もおこないました。「生物の多様性から学び、自分たちの多様性も受け入れられるようになった小学6年生たちは、大人達よりはるかにレベルの高い議論をして様々な問題を解決し、実行に移していた」(飯島さん)とのことです。
多様性から学び、実践しているアサザプロジェクトの広がりはここに書ききれないくらい多彩です。
NECとのコラボレーションで子供達が地域の環境情報を集めるプロジェクト、宇宙開発関連の研究施設と連携して衛星からカエルの生息環境や水の循環を見る活動や、外来魚から魚粉を作り、それを農業に活かし「湖がよろこぶ野菜たち」としてスーパーで売る魚粉事業。アサザが波に持っていかれないために伝統工法で作るそだ防波堤に必要な粗朶(そだ=伐りとった木の枝)の調達、水源地の間伐のためにボランティアでおこなう一日木こりなどもあります。
すべて、様々な立場の人と対話し、お互いを認めあうことからスタートしました。最後に、飯島さんはこんな言葉を残してくれました。
「自分の文脈をおしつけて、後継者を作っても意味はありません。それよりも、自分をいろんな動きを作り出す『場』として、その機能を残したいと思っています。これからも様々な人たちとつながり、100年後にトキが戻ってくるように、ここ霞ヶ浦でたくさんのビジネスモデルを作り、新しい時代の様式を生み出していきたいです。あらゆる分野に働きかけ、様々な地場産業を定着させ、ネットワークを展開し続けることで霞ヶ浦を再生させたいです」
目次へ移動 まとめ〜未来への希望
かつては自然の一部としてしっかり機能していた日本人。その考え方をもう一度見直し、アサザを通じて生物多様性の一部となるこのアサザプロジェクトは、古くて新しいやり方です。多様性を認め、否定をしない強さを持った何万人もの子供たちがプロジェクトで得たものと共に成長し大人になっていけば、きっと霞ヶ浦は、地球は、もっとよくなっていくでしょう。
何よりも未来への希望を感じたのは、子供達、飯島さん、アサザプロジェクトのスタッフの笑顔です。「環境ほど創造的で楽しいものはない。僕のモットーは楽しくやること。人間はワクワクしないと本気でやらないでしょう?」といたずらっぽく微笑む飯島さんの言葉どおり、関わる人みんなが、自然ないい笑顔をしていました。多様性を認め合いながら、日々、楽しくワクワク、エコなことをする。やはり、これが環境活動を末永く成功させる秘訣だと、あらためて感じました。
阿久津美穂プロフィール
スローメディアワークス代表。明治学院大学卒業。在学中にNZの先住民族マオリの研究で大学留学。現在は企業で広報をしながら、スローメディアワークス代表として主にエコ系の雑誌やウェブの編集、執筆等のメディア活動を展開中。http://www.slowmediaworks.net
取材・執筆:阿久津美穂(Slow Media Works代表)
写真・編集:上田壮一(Think the Earthプロジェクト)
写真提供・協力:アサザプロジェクト