『たべものがたり』でも紹介した「弁当の日」。最近、ますます注目が高まっています。「弁当の日」には、子どもたちをとりまく地域や家庭を劇的に変えていくすごい力があります。その秘密はどこにあるのでしょうか。今回は、2005年に西日本新聞の記者として、このユニークな活動を取材して以来、「弁当の日」の応援を続けている渡邊美穂さんによるリポートをお届けします。
目次へ移動 子どもが作る「弁当の日」とは?
今、全国各地の小中学校に「弁当の日」という取り組みが広がっています。これまでにも「弁当の日」を設ける学校はありましたが、それは通常、作るのが親。今回紹介するのは、子どもが作る「弁当の日」です。献立作りから買い出し、調理、片づけ、箱詰めまで、全部子ども自身がやるのです。
この取り組みは2001年、香川県綾川(あやがわ)町にある町立滝宮(たきのみや)小学校が独自に始めました。初年度は、家庭科で調理の基本を学んだ5、6年生計126人が年5回の弁当作りに挑戦。1つとして同じものはないオリジナル弁当を食べました。
子どもが家庭の台所に立ち、朝から弁当を作る-。簡単なようでも、現代家族にとっては"大変"なことです。「弁当の日」を発案した当時の校長・竹下和男さんに、PTA役員は「無理です」と即答したといいます。理由は、「危ないからガス栓や包丁を触らせたことがない」「早起きできるはずがない」。慌ただしい時間帯に台所を占領されるなんてとんでもないという事情もあったようです。
ところが、滝宮小学校の挑戦から9年目の今年、「弁当の日」は全国各地に広がってきています。2009年11月末現在の実践校数は、大学まで含めて37都道府県557校。宇都宮市では昨年度から、管轄する全小中学校93校、約4万人の児童・生徒と年数回のペースで実施しています。
目次へ移動 広がる背景にある数々の物語
"大変"だったはずの「弁当の日」なのに、これほど実践校が増えているのはなぜでしょうか。その理由を詳しく知る機会が10月下旬、香川県でありました。竹下さんが企画し、賛同する人たちが集った「第1回全国交流会in香川」です。参加者は、実践を支えた教諭や町長、PTA、実践校の卒業生、婦人会ら地元の61人と、全国各地の教育、行政関係者、助産師、農業関係者ら79人の計140人。筆者も参加しました。
交流会の冒頭、竹下さんはこんなエピソードを紹介しました。佐賀県内の学校が実施した初めての「弁当の日」。テーマは「感謝弁当」でした。6年生の女の子は朝5時に起きて、3つも弁当を用意。1つ目は、単身赴任先の大阪に戻るお父さんのための弁当。2つ目は、病院にいるおばあちゃんのための弁当。3つ目は、自分が学校で食べる弁当。「親は手伝わないで」と言われていた両親は、食卓のイスに座って、1人で台所に立つ娘の後ろ姿をずっと見ていました。"愛娘弁当"を新幹線の中で食べたお父さんは、会社の昼休みにお母さんへ電話。「娘にありがとうと伝えてくれ。おいしくて、うれしくて、泣きながら食べたよ」。おばあちゃんは、お母さんから弁当を受け取ると、涙声でこう言いました。「私はこれまでたくさんの弁当を作ってきたけど、作ってもらったのはこれが初めて。おいしいよ、おいしいよ」。
この女の子は、今中学2年の本多美智子さん。当日会場に来ており、「お弁当を家族が喜んでくれたから、台所に立つことがとても楽しくなりました」と笑顔でした。母親の恵美子さんは、「子どもたちはとてもやりたがっているし、やらせればできる。それを大人がわかっていなかったんだと気づかされました」と、子どもの力を信じて見守る大切さを振り返りました。
こうした「弁当の日」の物語は、実践した学校、家庭で次々と生まれています。台所で子どもたちの「成長力」に触れた大人たちが、「弁当の日」の取り組みを応援する側に回ったことが、この広がりの背景にあるのです。
目次へ移動 家庭のくらしの時間が変わる
「弁当の日」を実践すると、家庭のくらしの時間が変わります。子どもが作った卵焼きや唐揚げの余りが家族の朝食になる。「これどうやって作ったの?」と食卓での会話が増える。「ご飯できたよ」と呼ぶ前から子どもが台所に来るようになる。親が忙しいときや病気のとき、子どもが食事を用意するようになる...。
3年前にそれを知り、「ぜひ、全国の子どもたちに取り組んでほしい」と応援し続けている福岡県の助産師・内田美智子さんは、「弁当の日」の意義をこう説明しました。「性感染症や10代の妊娠、中絶など性のトラブルを繰り返す若者に共通するのは、家族の会話が乏しいこと。家庭に居場所がないから、体目当ての男性でも求めてしまう。『弁当の日』には、その現状を根本から変える力があると思います」。内田さんは全国各地で、性教育ならぬ「生教育」の講演をしており、その中で必ず、家庭のくらしの時間の大切さと「弁当の日」の取り組みを紹介しています。
家族の団らんが子どもの育ちに大切であることは言い尽くされていますが、実際には、どうやってその"団らん"を取り戻すかが社会の課題。「弁当の日」は、それを実現するための具体的な提案なのです。
目次へ移動 発案のきっかけは「給食への感謝」
「弁当の日」には、「給食を否定しているのですか?」という質問も出ます。しかし、真意は逆。竹下さんが、子どもに弁当を作らせようと思いついたきっかけは、給食に感謝する気持ちをはぐくみたいと思ったことでした。
校長として学校給食会の会議に出席した際、多くの関係者が食材の管理や搬送、献立や調理などの段階で工夫や努力を続けていることが分かりました。しかし、一方の子どもたちには、給食を感謝して食べる様子が見られなかった。「ならば、食材を選ぶことから調理まで、子ども自身に全部やらせよう」と、"気付かせる仕掛け"を発想したわけです。
「弁当の日」を経験した子どもたちは、「毎日食事を作るのはすごいことだったんだ」と気づきました。「嫌いなものでも、残さないで食べたい」という行動がみられるようになり、滝宮小学校の給食残食はほとんどなくなりました。竹下さんが異動した高松市立国分寺中学校、現在校長を務める綾川町立綾上(あやがみ)中学校でも「弁当の日」に取り組み、学校給食の残食は「ほぼゼロ」が続いています。
目次へ移動 いろいろな応用編も登場
滝宮小学校では、校長によるトップダウンで始まった「弁当の日」。しかし、交流会に参加した実践者たちは、それぞれ現場にあった応用編を生み出していました。
福岡市の小学校教諭・稲益義宏さんは、「弁当の日」を知った当初、「自分は校長じゃないから無理だ。給食を止められない」と二の足を踏んだそうです。しかし、できる方法を考えるうち、「もともと給食がない遠足や社会科見学の日を活用しよう」とひらめきました。
家庭科がない3年生の担任だったので、「コース別弁当の日」を提案。完ぺきコース(子どもだけで作る)・おすすめコース(親と作る)・ベーシックコース(おにぎり作りと詰める手伝い)・エンターテインメントコース(思い切り感謝を伝える)の4コースから、子ども自身が選ぶ方法にしました(イナマス方式と命名)。
初めての遠足当日、実にクラスの95%が完ぺきコースか、おすすめコースに挑戦。回を重ねるごとに、子どもの手づくり弁当は増加し、運動会に自作弁当を持って来る子どもを見つけたときは感激したそうです。
また、小学校1年生から中学3年生までを対象にした宇都宮市では、全体の目標を「中学を卒業するまでには自分1人で弁当を作れるようになる」と設定。いわば、小中連携で「9年計画」の取り組みにしたのです。
大学生に広がっている「弁当の日」は、九州大学(福岡市)から始まった「1品持ち寄り方式」。「名前の頭文字から始まる食材を使ったおかず」「100円以内の食費で作るおかず」など、毎回テーマを決め、キャンパスでお互いの弁当を食べ合います。学生たちの「弁当の日」をサポートする同大助教・佐藤剛史さんは、こう言います。「みんなのために作るとなると、値段の安さより、食材そのものに目が向き始めます。できるだけ地元の食材、安全な食材を選びたくなる。自給率は上げるものではなくて、"上がるもの"なのです」。
有意義に続く取り組み方は、それぞれの状況によって変わるということ。「どうすれば『弁当の日』を実践できるかと、よく助言を求められますが、答えは現場の人にしか出せません。しかも、困難を乗り越える方法を考えることこそ醍醐味。それを人任せにするなんてもったいないですよ」と竹下さんは言います。
目次へ移動 「かわいそうな状況」を放っておかない
「親が料理を作らない家庭もある。『弁当の日』をやるとかわいそうではないでしょうか」。こうした不安が、実践の壁になることもあります。これに対して、竹下先生はこう意見します。「かわいそうな状況があるなら、それをそのまま放っておく方がかわいそうだ。親ができないなら子ども自身ができるようにしてやればいい。それは一生の財産になるし、助かるのは親の方でしょう」。
交流会では、その"未来予想図"といえる体験談も聞けました。綾上中学校の事務員・水澤加代子さんは子ども時代、母親から家事を厳しくしつけられたそうです。子ども3人で毎朝家事を分担、さぼればご飯を食べられない日々。高校入試の前日、「今日ぐらいはいいでしょ?」と尋ねたら、「当然のように生きておきながら、生きるために必要なことをしなくていいとはどういうことか」と叱られたことが忘れられないといいます。母親は、彼女が高校3年のときに他界。その後、子どもだけで日々のくらしを難なく切り盛りできたことで、ありがたさに気づいたそうです。「私は料理が作れることをとても幸せなことだと思っています。母に感謝し、今は自分が母親として、子どもに同じことをしています」。
交流会で参加者たちは、子どもを守るため、大人が本当にすべきことは何なのか、熱心に語り合いました。
目次へ移動 「頑張ることはかっこいい」という価値観
交流会翌日は、竹下さんが校長を務める綾上中学校(生徒数135人)で、「弁当の日」を視察しました。この日は、教諭も弁当持参です。担任が1人ひとりの弁当を写真に収めるクラス、全員分の弁当を一カ所に集めて記念撮影をするクラスなど、楽しげな声が校舎に響いていました。生徒たちの表情を見ても、ふたを開く前に中身をこっそり確認していたり、友だちから「おかず交換して」と言われ照れ笑いしたり、通常の給食時間とは明らかに違う「どきどき感」「わくわく感」が伝わりました。
「本当に自分で作ったか」は、どの先生も確認しません。子どもが作りたがっていても、親が手を出すこともあるのですが、「それを調べる必要はない」と学校側は言います。級友同士なら、本当に自分でご飯を炊いたか、煮物を作ったかは、会話や態度を通して分かるもの。自分で作った級友を立派に感じ、自分で作らなかったことを悔しく思った生徒は、「次回は自分で作ろう」と自ら秘かに決心するというのです。頑張ることはかっこいい。自立することはかっこいい。そうした価値観がうまくはぐくまれていると感じました。
目次へ移動 先輩の背中に刺激される「成長力」
視察は楽しいものでした。ただ、"一見さん"の筆者には、弁当を食べる様子だけでは、生徒たちがどう成長したのかまで分かりません。それを垣間見ることができたのが、実は、弁当の時間の後に体育館であった合唱コンクールでした。
この日は、年に一度の文化祭。保護者や地域の人が、生徒の発表を楽しみに集まる日です。まず驚いたのは、体育館に全員集合した生徒たちが私語をしないことでした。全員がきちんと背を伸ばし、前を向いて着座。注意して回る先生もいません。当然のことではありますが、近年の小中学校ではなかなか見られない光景ではないでしょうか。
合唱の様子にも目を見張りました。1年生より2年生、2年生より3年生が見事な歌声を披露したのですが、全員が顔を上げてひな壇に立ち、恥ずかしそうにふざけ合う姿は一切ありません。先輩の舞台は後輩が拍手や声援で盛り上げ、人の話が始まればさっと席に戻って静かに聞くという具合。一部の生徒は入学当時、座って人の話を聞けない状態だったと後で知り、さらに驚きました。
閉会時の竹下校長のあいさつに、"秘訣"の一端をみた気がします。「3年生の合唱に感動しました。それを見ている1、2年生の瞳はとってもきれいでした。『3年生までにあそこまで成長しなくては』と感じたのだと思います」。翌年度は学校活動の中心となる1、2年生。彼らが「自分もかっこいい先輩になりたい」と感じるような"先輩像"の見せ方をして、本能的な「成長力」を刺激したのだと思います。
目次へ移動 通過儀礼としての「弁当の日」
実は、滝宮小学校でも、子どもの「成長力」を刺激するため、同じような"仕掛け"が行われてきました。竹下さんの異動後、後任の校長になった末澤敬子さんが始めた「見せる『弁当の日』」です。弁当を作らない低学年を並ばせて、先輩の弁当を見て回らせるのです。しかも、給食前のぐうぐうお腹が空いている状態で。
これには、大きな効果がありました。「おいしい弁当を作れるかっこいい5年生になりたい」とやる気になった子どもたちが、親にくっついて料理を覚えようという行動に出始めたそうです。実践が9年目に入り、「弁当の日」が大人になるための"通過儀礼"として定着した滝宮小学校では、子どもたちの弁当のレベルが年々向上しています。
目次へ移動 「弁当の日」に込めた6つの夢
「大人が子どもたちに『一家団らんの楽しい食事』という『DNA』を伝えれば、それは100年後の子どもたちにまで届くと思っています」。そういう竹下さんの願いは、「弁当の日」を通して、日本の子どもたちが育つ環境を変えること。竹下さんが100年後に伝えたい「DNA」を連ねた「『弁当の日』に込めた6つの夢」を最後に紹介します。
今の社会に生き難さや危うさを認めるなら、同じことを経験させないよう次世代をはぐくむのが大人の務め。子どもを台所に立たせることから日本の未来をひらこうという提案に、目の前の子どもたちを"仲間入り"させる人の輪を広げたい。そうすれば、"DNA"のリレーが面的に広がり、ひいては地球の未来をもひらく力になり得るだろうと感じました。
※参考
「弁当の日」のホームページhttp://www.bentounohi.com/
「弁当の日」最新情報の掲示板http://e-kyudai.com/imgbbs/index.php
著者プロフィール
渡邊美穂(わたなべ・みほ)
1997年西日本新聞社に入社。2003年から長期企画「食卓の向こう側」の取材班。自ら食生活を見直し、体調も改善した。06年6月、転勤族である夫と同居するために退社。現在は東京在住で、同新聞の契約記者兼フリーライターとして執筆活動を続ける。
取材・写真:渡邊美穂
協力:竹下和男
写真協力:上田壮一(Think the Earthプロジェクト)