自然豊かなニュージーランドに、息を呑むほどみごとな星空で知られる村があります。あるとき、この村で星空ガイドを始めた一人の日本人男性が、夜空を明るくしてしまう“光害”をくいとめるため、星空を世界遺産として登録しようというアイデアを思いつきました。強力な支援者たちを得て、このアイデアが実現へ向けて順調に歩む一方で、村に暮らす人々の間には、複雑な思いも芽生え始めているようです。開発規制を危惧する人、経済効果を期待する人、開発による光害や自然破壊を懸念する人……。不安と期待に揺れる村と、「星空の世界遺産」実現のために尽力する人たちの想いを取材しました。
目次へ移動 星の降る村、テカポ
ニュージーランド南島の玄関口、クライストチャーチから車で3時間走ると、ミルキーブルーの氷河湖を前に、石造りの小さな教会がたたずむ村があります。テカポと呼ばれる、人口300人ほどの小さな村です。美しい山並みが湖をふちどり、湖に面した教会の大きな窓から臨む風景は、見る者の心をしんと澄ませる魅力をたたえ、世界中から観光客を引き寄せています。
湖と教会の景観で知られるテカポに、「星空の美しい村」という評判を新たに生み出した人がいます。この村で15年ほど前に星空ガイドを始めた日本人、小澤英之さんです。
テカポは、ニュージーランドでも指折りの星空観察に適した土地です。湖を見下ろす小高い山、マウント・ジョンの頂上には、1965年に天文台が置かれました。このマウント・ジョン天文台は世界最南端の天文台です。
北半球で暮らす私たちには見られない星も多く、その代表が南十字星。季節によっては天の川が頭の真上を横切り、天文ファンならずとも夢中で夜空を見上げてしまいます。そのうえ晴天率も高く、乾燥していて空気が澄み、大きな都市が近くにないために街明かりも少ない。それでいて、何千メートルもの高地に登ったりすることなく、誰でも簡単に満天の星を眺めることができる場所なのです。
実は日本の天文学者も、この地に拠点を持っています。マウント・ジョンには5基の天体望遠鏡があり、MOA-II望遠鏡と呼ばれるニュージーランド国内最大の望遠鏡は、名古屋大学が運用しています。ここでは、北半球では見られない「銀河の中心」とマゼラン星雲をターゲットにして、太陽系の外にある惑星や暗黒物質を探しています。
小澤さんのツアーでは、日が暮れるとバスで山の頂上へ向かいます。夜のとばりが降りた山腹から、バスはヘッドライトを消して進みます。ライトが星空観察の邪魔になるからです。バスを降りたところでまず目を閉じ、そのまま顔を天に向けて数秒。パッと目を開けると、そこには息を呑むような星空が広がります。星空を見上げているというより、星のなかに放り込まれたような気分です。
いっしょに夜空を眺めながら、小澤さんは言います。
「星を見ていると、森林浴をしているみたいに、アルファ波が出てくるような気がするんです」
森林浴ならぬ、星光浴。降るような星の明かりに身を浸すことができるテカポならではの体験です。
星がよく見えると有名な場所でも、大都市から遠く離れた山奥にもかかわらず、大都市の方向の地平線近くがぼんやり明るくなってしまうところは多いものです。しかしテカポでは地平線のすぐ近くに星が明るく瞬きます。山の頂上に立って星を見ると、自分の目線の下にまで星があるような錯覚すら起こります。
けれど、地元の人たちにとっては、この星空は当然のもの。私たちが身の回りに空気がふんだんにあることを当然と思うように、星がこれほどたくさん見られる空が珍しいものという感覚はなかったそうです。
「星空を見せてそれがビジネスになるなんて......」。地元の新聞は、星空ツアーを始めた小澤さんを紙面で揶揄したほど。けれど、徐々にその評判は国内外に広がり、いまではむしろ、ニュージーランド国内の人が星空ツアーを体験しにやってくることが増えています。
目次へ移動 ところが、開発の波がテカポにも
2000年ごろ、ニュージーランドには開発バブルが起こりました。その波はここテカポへも押し寄せ、ひそやかに十数軒が立ち並ぶだけだった商業地はこれまでの何倍もの大きさになり、住宅地もはるかに大きく広がるという計画が打ち出されました。これではテカポの暗い夜空は失われてしまう。日本で育った小澤さんにはあまりにもはっきりと見える未来でした。
日本で、世界の各地で、多くの街が開発とともに、本来持っていた美しい自然やその土地固有の景観を失っていく。それと同じ轍をテカポも踏もうとしている。小澤さんはそんな恐れを抱きました。
とはいえ、ここは昔から天文台があった土地ですから、街明かりによって星空が見えなくなる"光害"に無頓着だったわけではありません。自治体は何十年も前から照明のコントロールを始めていました。いまでは、街灯には上に光が洩れないように傘がかけられ、星空観察に影響の少ないナトリウム灯が使われています。ただし、商業施設の照明規制はないので、このまま商業地が広がれば、間違いなく夜空は白くぼんやりと明るくなってしまうでしょう。
また、車のライトは以前から大きな問題でした。10kmも離れたところを走る車のライトがマウント・ジョンの頂上に届くのです。山のふもとをハイビームで走る車が頂上のほうをちらりと向くと、天文台のドームの壁に人の影がくっきり映ります。そうした明かりが目に入ると、いくら頭上に星が光っていてもよく見えなくなってしまいます。
バブルの勢いのままに開発が行われ、商業地や住宅地が広がって、車の行き来が増えれば、星に満ちた夜空は失われてしまう。なんとかそれを阻止できないか。ある日、小澤さんは、こう思いつきました。
「テカポの星空を世界遺産にしてはどうだろう?」
ユネスコの世界遺産として「星空」が採択されたことはありません。そのときにはあまりにも途方もない思いつきでした。
しかし、星空ツアーを提供する会社の共同経営者であるグラエム・マレーさんは、小澤さんの「この空を守らなければ」という訴えに心動かされます。
「この星空のもとで育った僕たちには、夜空が暗くて星がたくさん見えるのは当然のことだった。失われるかもしれないはかないものだとは思ってなかったんだ。ヒデに言われて初めて、この星空がどれほど貴重であるか気づいた。次の世代に残していくべき大事な遺産だ、とね。それに、世界遺産化は、僕たちのやっている、天文という科学の分野と旅という娯楽の分野が融合した『アストロ・ツーリズム』を強く後押ししてくれるだろう」
目次へ移動 強力なリーダーの出現
グラエムさんはその後、ユネスコの本部に強いパイプを持つマーガレット・オースティンさんにこのことを訴え、協力を仰ぎました。
マーガレットさんは、かつてニュージーランド科学技術省の大臣を務めた人物です。テカポが世界初の「スターライト・リザーブ(星空保護区)」として指定されることで、ニュージーランドに限らず世界の人々、とりわけ子どもたちの星空への科学的な関心、さらには、科学全般への関心が高まることが期待できる。その思いが、マーガレットさんをこの活動の推進役へと向かわせる原動力となりました。
「それに、ニュージーランドは、ポリネシアから船でやってきたマオリの人々が発見した土地。マオリにとって星は、航海の際には船の行き先を示し、陸では暦となって農耕の時期を教えてくれる、きわめて重要な存在です。白人で最初にここへ到達したクック船長も星に導かれてやってきました。この国を作った星は、まさに私たちニュージーランド人の遺産です」
実は、マーガレットさんがその話を耳にした2005年ごろ、ユネスコが本部を置くパリでも「世界遺産として"天文"のジャンルを作るべきではないか」という議論が行われるようになっていました。
世界遺産条約では、「歴史」や「芸術」や「自然保護」の観点からだけでなく、「科学」の観点からも世界遺産に値するかどうかを検討すると謳っているのに、科学を軸にした世界遺産はこれまでにないのです。
天文学は人間がもっとも古くからなじんできた科学の一分野です。天文にまつわる建造物や自然景観を遺産として考えようという議論が起きたのは、自然な流れでもあったのでしょう。
さまざまな論議のすえ、星空を世界遺産に含めるかどうかを検討するためのテストケースとして、テカポのほか、ハワイのマウナ・ケア山など、世界中から5カ所の候補が挙げられましたが、最終的に、テカポおよび近接するアオラキ山(マウント・クック)が選ばれ、テカポはいま、世界遺産にきわめて近い位置にいます。
目次へ移動 取り残された地元の人
ユネスコおよび国内の重要人物であるマーガレットさんがリーダーとして参画したことで、テカポの世界遺産化はぐっと現実味を帯びてきました。その一方で、テカポで暮らしている人々の間には、ある不安がわき起こっていました。
テカポ周辺に広大な土地を所有し、牧羊業を営むアンドリュー・シンプソンさんはこう言います。
「テカポの世界遺産化という大きな動きが国際的なレベルで進んでいながら、これまで、住民は何も知らされていませんでした。このままでは誰ともわからない人がやってきて厳しい規制をかけるのではないか、自分で自分の運命を決められなくなるのではないか、という不安を持つ人は多いはずです。たとえば、開発禁止という規制が作られるとしたら、それは私たちにとって重大な問題です」
開発とは、経済的な成長を目的とした開発のことですか、と問うと、
「経済成長、社会的な機能の整備、環境保護の仕組み、すべてにおいての成長です。たしかにここの星空はすばらしい。でも『星空だけが最優先、ほかのことはすべて我慢しなさい』ということであれば、住民としては見過ごせない事態です」
クアハウスやスケート場などのレクリエーション施設を運営しているカール・バーチャーさんも、
「私はレクリエーションビジネスをしているので、世界遺産になるメリットを期待していないわけではありません。けれど、地元住民の生活やビジネスのほうが、より心配です。たとえば、スケート場の夜間照明を暗くしろと言われたら、ビジネスには大きなダメージです。私のビジネスに限らず、ユネスコの定める規制次第では、テカポは手足を縛られてしまい、やっていけなくなるでしょう」と懸念を表しています。
地元の自治体はどう考えているのでしょうか。テカポを含むマッケンジー市の市長ジョン・オニールさんは、このように話してくれました。
「市としては、照明規制などでテカポの夜空を守ることにも配慮してきましたが、同時に、開発を進める権利も含めて住民の生活の向上を図ることも大事な役割だと考えています」
市長さんは先ごろ、これまで世界遺産化を推進する目的で開催されていた星空保護区委員会に、地元住民を代表できる人を入れるべきと考え、前出のアンドリューさんを委員会のメンバーとして招聘しました。地元住民と委員会とのコミュニケーションは、やっと始まったばかりのところです。
目次へ移動 開発と暗い夜空の保護は両立できるか?
天文台がこの地に置かれたのは、天文学者であるアラン・ギルモアさんが米国ペンシルバニア大学の依頼でニュージーランドの各地を検分してまわり、テカポが最適だと判断したことによります。1965年、ここに天文台ができた当初からテカポの村と夜空を見つめ続けてきたアランさんは、こう言います。
「テカポの村は私が来てから3倍の大きさになりました。でも星が3倍見えなくなったかといえばそうではない。テカポが世界遺産となり、さらに市街地が大きくなっていっても、よりよい照明法とテクノロジーの進歩によって、光害は防げると思います」
世界の大都市には、いたずらにあたりを照らすだけで、明るくしようとした場所(たとえば道路)を照らす役に立っていない街灯があふれている、ともアランさんは指摘します。
「こうした照明は、単なるエネルギーの浪費です。その上、星空をも見えにくくしてしまう。いまでは、電球に上から傘をかぶせるだけでなく、ナトリウム灯などの新しい照明も開発されています。こうしたテクノロジーもこの先、さらに発達するでしょう」
マーガレットさんも、グラエムさんも、世界遺産の実現を機に開発を全面的に禁止し、テカポの今の暮らしを規則で縛る必要はないと言います。これまでテカポは照明をコントロールしてきた歴史と実績があり、野放図な開発は規制するにせよ、いくぶんかの開発が行われたとしても、夜空に配慮した街のデザインは可能だという考えです。
「世界遺産化によって、より暗い夜空が実現できるのでは?」と話してくれたのは、マウント・ジョンで観測を続けている名古屋大学の研究者、住貴宏さんでした。
「僕がテカポに通い始めた10年前から比べると夜空は明るくなりつつあり、観測に影響が出てきているのは事実です。星空が世界遺産になるということはそこが暗い夜空であることが前提になるでしょうから、いま、街灯だけにかかっている照明規制が商業施設にも適用されるなど、暗い夜空が守られるような開発が行われることを期待しています」
一方、小澤さんは開発に大きな危惧を抱いています。
「僕はテカポが世界遺産に指定されることでビジネス上の恩恵を受ける立場。でも世界遺産をきっかけに、この地域が大きく開発され、夜空は明るくなり、自然が破壊されるのではないかということを非常に心配しています。世界遺産化の活動は、状況によっては引き返したほうがいいように思う」
とまで言っています。開発を止めようとして考えたことが、逆に次の開発の引き金を引くかもしれない。発案者としての責任を強く感じているのでしょう。
目次へ移動 「星空の世界遺産」の切符は、そこに暮らす人が持っている
小澤さんはいま、「ここで静かに暮らしている人にとって、世界遺産化にどんなメリットがあるのか」を常に自問しています。
「スキー場の照明はダメ、スケート場の照明もダメ、とよそから来た人間が言うのは簡単なことですが、スケート場は昔からこの村の生活の一部です。夜間の暗い道をセキュリティライトで照らすのも、人々の安全がかかっている。そうした、いわば村の文化を否定したり、生活を犠牲にしたりして星空を守れ、と一方的に言っていいものではない、と僕は思うのです。村の人、一人ひとりと話をして、世界遺産になることを望むかどうか、その意思を聞いてみたいと考えています」
テカポの自然に魅かれて6年前に移り住み、オーガニックコーヒーを出すカフェを営むデブラ・ハンターさんは、私たちにこう言いました。
「私は世界遺産化に賛成よ。でも、夜空を守ることと自分たちの生活をどう折り合わせるかについては、自分たちで答えを見出すのがいいと思う。誰かに"あなた方はこうしなさい"と命令されるのでなく、"自分はこの星空を守ることに貢献してるんだ"と誇りに思えたら、それが一番よね」
世界遺産というのは、守るべき風景、自然、街並を切り取って写真のように固定し、保存するだけではなく、そこに住む人を包含したものであってほしいと私も思います。人間を排除した遺産は、いったい誰のための遺産でしょう。
世界遺産が実現することで、ユネスコが要請する規制が暗い夜空を守る大きな傘となり、照明や環境の保護を前提とした、これまでの常識を覆すような新しい考えで開発が行われることも期待できます。逆に、小澤さんが心配するように、世界遺産を当て込んだ開発が始まり、下手をすれば、世界遺産どころか、暗い夜空が失われることもありえるでしょう。
テカポはどのような道を選ぶのでしょう? 私たちが取材の過程で出会った人々は、形の違いこそあれ、みな、テカポの自然の美しさやコミュニティをとても大切に思っていると熱をこめて話してくれました。その方々の決断を、日本から見守り続けたいと思います。願わくは、いわば「お上」が決める世界遺産ではなく、そこに暮らす人たち自身が、世界に二つとないテカポの美しい夜空を大事に思い、守り続けてくれることを。
江口絵理 略歴
1973年生まれ。阪急コミュニケーションズ(元、TBSブリタニカ)勤務を経て、イ
ギリスの出版社ブルームズベリーにインターン勤務の後、フリーランスの編集
者・ライターに。著書に『ボノボ ― 地球上で、一番ヒトに近いサル』『ミーアキャットの家族』(そうえん社)。
取材・執筆:江口絵理
写真:上田壮一(Think the Earthプロジェクト)
協力:小澤英之(Earth & Sky)