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銀座のミツバチが紡ぐ都会の里山物語|地球リポート|Think the Earth

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地球リポート

from 東京 vol. 54 2010.10.01 銀座のミツバチが紡ぐ都会の里山物語

ミツバチが花々の間を飛び交い、田んぼに稲穂が揺れている――よくある地方の田園風景のようですが、実はこれ、東京・銀座のビルの屋上の光景なんです。銀座でハチミツが採れる、という話を聞いたことがある人も多いのではないでしょか。2006年に「銀座ミツバチプロジェクト」がスタートしたのをきっかけに、今この街は「人と人がつながる小さな里山」へ変身しようとしています。ミツバチが生きやすい街を作ろうと屋上緑化を進めたり、採れたハチミツを使い銀座の老舗がケーキやカクテルなどを作って「地産地消」を実現したり。ミツバチに引き寄せられるように人々が集い、新しいアイデアが次々と生まれています。街の発展の方法を模索していた銀座が、ミツバチによって思いがけず「都市と環境の共生」という答えを見つけたとも言えそうです。「ミツバチがもたらしたもの」を探しに、銀座へ向かいました。
(タイトル写真提供:銀座ミツバチプロジェクト)

目次へ移動 ミツバチとの対面

銀座3丁目にある銀座紙パルプ会館を訪ねたのは、9月上旬の暑い日。11階建てのこのビルの屋上に、銀座のミツバチたちが住んでいるのです。ここには西洋ミツバチと日本ミツバチの巣箱が設置されていて、毎日数十万のミツバチが飛び立ち、銀座周辺の木々や植物から蜜を集めてきます。

054-002.jpg ここがミツバチの住まい。西洋ミツバチの巣箱が4つ。日本ミツバチは別の場所にいる

054-003.jpg この日はミツバチのための庭園作りの講座が開催されていた。囲いの向こうに巣箱が置いてある。中央は銀座ミツバチプロジェクトの田中さん

この日は、秋から冬を迎えるための準備と採蜜が行われました。全身を白い防護服で覆い、頭にネットをかぶり、準備は完了。飛び交うミツバチに最初は近寄るのをためらいましたが、一度近寄ってみると、怯える必要などないことがわかります。同じ空間を共有している、そんな感覚でしょうか。

054-004.jpg燻煙器で新聞紙を燃やして煙を出す。煙がミツバチを落ち着かせるという

054-005.jpgミツバチの様子を確認する。作業は素手が基本だ

作業をするときは、素手が基本。手袋を使うと扱いがぞんざいになり、ミツバチの性格が荒くなるからだそうです。多くの人が行き交う都会の養蜂ならではの配慮は欠かせません。燻煙器によって煙を出すのも、ミツバチを落ち着かせる方法のひとつ。慣れてくれば手の平に乗せても平気になります。

054-006.jpg囲いの中に入り、いよいよ作業が始まる

054-007.jpg慣れてくれば手の平に乗せるのも平気に。ミツバチは34度前後の体温を維持しているため触ると温かい

採蜜の手順はこうです。ハチを巣枠から移動させ、巣枠についた蜜蝋をそぎ落とします(蜜蝋はろうそくなどになります)。これを遠心分離機に取りつけ、回転させながらハチミツを絞り、濾過させるとハチミツのできあがり。採蜜のピークシーズンは過ぎていますが、この日だけで約10キロのハチミツが採れました。銀座は夏でも蜜枯れしないため、9月になっても一部でハチミツが採れるのだとか。遠心分離機にかける前の蜜をなめてみると、ほんのりと優しい味がしました。

054-010.jpgハチを移動させた後の巣板

054-008.jpg蜜の詰まった巣板を遠心分離機にかけてハチミツを抽出する

054-009.jpgフレッシュなハチミツのできあがり




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大人の遊び心から始まった

銀座にミツバチプロジェクトが誕生したのは2006年。ひとりの養蜂家との出会いがきっかけでした。発起人となったのは、貸し会議室を営む紙パルプ会館常務の田中淳夫さんと、有機農産物の流通を手掛けるアグリクリエイトの高安和夫さん。岩手県の養蜂家、藤原誠太さんが銀座で養蜂ができる場所を探していることを知った田中さんは、紙パルプ会館の屋上を貸してもいい、と申し出ました。ところが、藤原さんは「面積が小さすぎて養蜂業としては無理。教えてあげるから、あなたたちでやってください」と言ったのです。

田中さんも高安さんも最初は驚きますが、「銀座にミツバチがいたら面白いじゃないか」と、この話に乗ることにしました。藤原さんは既に永田町の社民党ビル屋上でミツバチを飼っており、都会のビル屋上での養蜂に実績がありました。「皇居周辺にユリノキがあるのを発見し、この周辺で採れたハチミツは最高のものになると確信していた」と、藤原さんは言います。

054-011.jpg 銀座は夏でも木々や植物が豊富にあり、蜜枯れしないという

054-012.jpgNPO法人 銀座ミツバチプロジェクト副理事長の田中淳夫さん

「銀座でミツバチを飼おうなんて、アバンギャルドな存在だと思われたでしょうね」と田中さんは笑います。でも、銀座の懐の深さがそれを許容してくれたと考えています。もちろん始める前には各方面に相談に行き、ビルの全テナントにも了解を得るなど入念に準備しましが、ハチが人を刺すのではないかと心配する声もあったそうです。それでも「大人の遊び」に賛同してくれる人がたくさん現れたのですから。

目次へ移動 ミツバチの目線に立った街づくり

こうして始まった「銀ぱち」のハチミツの収穫量は初年度が150キロ、07年が290キロ、08年には440キロ、今年2010年は7月末現在で昨年同様の800キロを超えました。現在の賛助会員は135名に上ります。

もっとも世界を見渡せば、都市での養蜂は特別なことではありません。パリでは既に何年も前から養蜂が盛んに行われています。オペラ座や、1900年に開催された万博の会場となったグラン・パレの屋上で採取されるハチミツは、パリ名物のひとつにさえなっています。通りにはアカシアやライムなどの木々が並び、アパルトマンのバルコニーにはさまざまな花の鉢植え、近くにはチュイルリー庭園があるなど、パリはミツバチにとっては最高の環境なのです。花の種類が多いため、多様な味が楽しめるそうです。

ニューヨークでも今年3月、禁止されていた市内での養蜂が解禁になりました。ロンドンでも市民のための養蜂講座が人気を呼んでいます。都会とミツバチの関係は相性がいいのです。近くに皇居や日比谷公園、浜離宮など豊富な蜜源がある銀座も、ミツバチにとっては住みやすい環境だったのでしょう。

054-019.jpgミツバチにとっては、田舎よりも都会の方が住みやすい??

国際養蜂協会連合の顧問で、東京・世田谷の自宅で30年前から養蜂を行ってきた渡辺英男さんは、「ミツバチが都市を救う」と言います。ミツバチは緑がないと生きていけない動物であり、農薬にとても弱い生き物です。とりわけネオニコチノイド系の農薬には弱いとされ、大量死の一因ではないかとも指摘されています。地方では効率的な農業のために農薬が大量に散布されたり、スギやヒノキなど花をつけない木々の植林が盛んに行なわれたために蜜源が現象したりと、ミツバチが生きるには過酷な環境となってしまいました。地球環境の将来を考えるときには、ミツバチが住める環境を整えることが大切だというわけです。

渡辺さんは、ミツバチには4つの役割があると考えています。

1つめは「健康と暮らし」。体にいいハチミツやプロポリス、ロイヤルゼリーなどをもたらす役割。
2つめは「花粉交配(ポリネーション)」。花から花へ花粉を運び受粉を助ける。植物が豊かな実をつけるのに貢献する大切な役割です。
3つめは「環境改善」。ミツバチが生きるためにはいい空気やいい水が必要。ミツバチが住みやすい環境はすなわち人間にとってもいい環境になるのです。
4つめが「人間社会の改善」です。ポリネーターとして人と人を結びつけ、自然と共生することの大切さ、人々が1つになることの大切さをミツバチが教えてくれると言います。

銀ぱちの田中さんも、ミツバチを飼い始めてから、街を見る「視点」が変わったそうです。近隣の樹木が受粉し、実をつけて、その実を鳥が食べる――そんな自然の営みに感動し、小さな生き物にやさしい街づくりへ動き出します。自分たちがポリネーターとなって、人と人を結びつけようと、2つの活動(「ビーガーデン・プロジェクト」と「ファームエイド」)を始めました。

目次へ移動 ビーガーデンの広まり

054-013.jpgいち早く屋上緑化に取り組んだ松屋銀座のビーガーデン。今年の酷暑でしおれてしまっているのが残念。世話を続けるのは大変な作業なのだ

054-014.jpg松屋の屋上ではトマトやゴーヤ、ピーマンなどの野菜を育てている。今年は新潟の黒崎茶豆も収穫

「ビーガーデン・プロジェクト」は、ミツバチが快適に暮らせるよう、東京に緑を増やそうと呼びかけるもの。呼びかけに応じ、これまで松屋銀座、銀座ブロッサム、マロニエゲートなどのビルの屋上に計1000平方メートルを超える農園や花壇が誕生しました。先頃新装オープンした三越にも芝生を敷き詰めたテラスや農園が生まれています。

屋上庭園のなかでも異彩を放つのが白鶴会館です。ここでは日本酒の原料になる酒米を育てています。屋上のドアを開けると広がる「水田」は圧巻。黄金に輝く稲穂が風に揺れている様を眺めていると、都会にいることを忘れてしまいそうなほどです。もちろん本物の水田には及ばないでしょうが、スズメやトンボも飛んでくるし、いろいろな虫も現れます。桜の木も植えられているため、紙パルプ会館の屋上からミツバチも飛んできます。緑があればそこに動物がやってくる――まさにそれが実感できる空間です。

054-015.jpg白鶴会館の屋上のドアを開けると水田が広がっている。ここでは独自開発した酒米を育てる(写真:小泉淳子)

兵庫県神戸市に本社を置く白鶴酒造が銀座で酒米作りを始めたのは07年。08年には70平方メートルで15キロ弱、昨年は45キロの酒米を収穫しました。収穫したお米を使った日本酒は同ビル内で行われるセミナーで試飲ができるそうです。今は一部で地元の小学生が植えたコシヒカリも育てており、10月には収穫を行う予定です。本物の農家を訪ねる農業体験ツアーが人気ですが、それを身近で体験できるのですからなんとも贅沢な話です。

日本酒の消費量が落ちるなか、「銀座」というブランドの力でお酒を作ってPRをしたいというのが最初の発想でした。ところが、予想を超えた結びつきが生まれました。収穫のときには、銀ぱちのスタッフはもちろん、クラブのママやバーデンダーなど、さまざまな人が集まるそうです。これもまた、ミツバチが人と人を結ぶポリネーターとしての役割を果たした結果といえそうです。銀座の田んぼが気に入ったママさんたちの間には「緑化部」も生まれたのだとか。畑でハーブを育てて自分たちの店で出したい、などママさんたちの夢は膨らんでいます。

田んぼの責任者である白鶴酒造の小田朝水(あさみ)次長は、米の収穫が終わったら小麦を栽培して二毛作を実現したいと考えています(昨年は7キロの小麦を収穫)。「銀座産の小麦とハチミツでコラボレートできたら面白い。屋上を通じて何かできないかと常に考えている」と言います。「田んぼができたことで出会いが増え、人生の財産になった」という気持ちがそれを後押しします。

とはいえミツバチの世話も、米の栽培も、一朝一夕ではできません。週末だからといって世話を休むわけにはいきませんし、相応の手間と忍耐と覚悟が必要です。日本全国の都市でミツバチを飼う動きが広がっていますが、大事なのは継続することだと銀ぱちの田中さんは言います。始めたのはいいけれど続かない例も聞くそうです。

銀座の取り組みが成功したのは、街全体を巻き込む強い意志があったからこそ。田中さんや高安さんがプロジェクトを始める以前から銀座はどうあるべきかといった議論に参加し、人と人のつながりを大事にしていたから大きなうねりが生まれたのだと、今回の取材を通じてよく分かりました。「ハチミツを目的にしてしまうと、継続するのは難しい。蜜が採れるときも採れないときもあります。蜜源がなければ花を植えるよう、みんなで努力をしなければいけない。ミツバチを地域のなかでどう受け止め、小さな命をどう広げて行くかを考えないと、根づかない」(田中さん)

目次へ移動 生産者と都市を結ぶ試み

054-016.jpgファームエイドが行われる日は、紙パルプ会館の周りに市が立ち並ぶ

054-017.jpg2010年9月に行われたファームエイドでは新潟の蔵元の稲架(はさ)掛けも登場。手前は杜氏の田澤勝さん

2つめの活動が、08年より行っている「ファームエイド銀座」です。「森、里、街、そして海をつなぐサスティナブルネットワークフェスタ」を掲げ、地方の生産者と都会を結びつけるイベントを定期的に開催しています。9月に行われたファームエイドでは、新潟の酒米の稲架(はさ)掛け(刈った稲を天日のもとでゆっくり乾燥させる方法)の稲架も登場しました。思いもかけない話が次から次へと舞い込むんですよ、と田中さんは言いながら、その表情はとても楽しそうです。

銀座産のハチミツは、これまでさまざまな形で商品化されてきましたが、こだわったのは「地産地消」。銀座の職人の技で作って銀座で売りたい。その願いが実って、ホテル西洋銀座でマカロンになり、文明堂でハニーカステラになり、三笠会館のbar 5517ではカクテルになりました。社会福祉事業を営むスワンは、知的障害者が働くベーカリーでラスクなどを販売しています。バーやクラブの連合会「銀座社交料飲協会」は85周年を記念して、オリジナルカクテル「ハニーハイボール」を考案。1杯飲むごとに小額ですが銀座の緑化運動に寄付される仕組みです。

054-018.jpgファームエイドではクラブのバーデンダーやママたちが「ハニーハイボール」のブースを出していた。立ち寄る人が多い

ミツバチの訪れとともに、この街にはさまざまな物語が生まれましたが、すべてを紹介することはとてもできそうにありません。ただひとつ確かなのは、小さな生き物へのやさしい眼差しが、都会に里山を作るのが夢ではないことを教えてくれたことです。建て替え中の歌舞伎座の屋上でも、養蜂が行われるようになるかもしれません。パリのオペラ座に対抗して歌舞伎座ハニーを売り出せば、話題になるでしょう。ビルが農場になり、壁面にびっしり野菜が実る日もいつか来るかもしれません。

銀ぱちは2010年3月、農業生産法人「株式会社銀座ミツバチ」を設立しました。これまでボランティアに頼っていたミツバチの世話人の生活基盤を作り、生産を拡大するためです。福島県の遊休農地を借りてジャガイモなどの栽培も始めました。「銀座のミツバチはもしかすると人々を奥山へつなくゲートウェイなのかもしれない」と、社長に就任した田中さんは言います。銀ぱちがこれからどこへ向かうのか、ますます目が離せそうにありません。

関連URL
銀座ミツバチプロジェクト http://www.gin-pachi.jp/

小泉淳子 略歴
編集者・記者。国際ニュース週刊誌で長年カルチャーやIT、教育などの取材を行う。現在は書籍の編集に携わる。地球をとりまく問題を多面的に発信していきたいと考えている。


取材・執筆:小泉淳子
編集・写真:上田壮一(Think the Earthプロジェクト)

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