日本社会は大規模・集中という考えで、効率のよさを享受しながら発展してきました。しかし、東日本大震災は、そのマイナスの部分を顕在化させたように思います。ひとつの発電所のトラブルで多くのまちの電気が消え、ひとつの浄水場の停止によって毎日あたりまえのように飲んでいた水が飲めなくなりました。 そうしたことから、エネルギーの小規模・分散という考え方が注目されていますが、水道でも同様の検討をする必要がありそうです。その条件は「安全」・「低コスト」・「省エネ」水道へのシフト。水道シフトは、持続可能な小規模コミュニティーには必要不可欠なもので、具体的には、水源の見直し、浄水方法の見直し、下水処理方法の見直しの3つがありますが、今回は、震災以降見直されている浄水方法・生物浄化法(緩速ろ過)についてリポートします。
目次へ移動 大量のエネルギーを使う上下水道
3月11日に発生したM9.0の巨大地震、それにともなう大津波は、生活インフラに大きな被害をもたらし、私たちの生命線ともいうべき水インフラが壊滅的な被害を受けていました。
被災地では水道管が壊れ、まちなかに水があふれ出していました。浄水場の地盤が陥没したり、貯水池が崩れたりしました。電源を失い機能停止になった浄水場も多くありました。水をつくるのに電気が必要であることをあらためて認識させられました。こうして岩手、宮城、福島、茨城、千葉を中心に220万戸以上が断水したのです。
そうしたなか稼働し続ける浄水場がありました。たとえば、大きな被害を受けた石巻市にあって、大街道浄水場は、電源を失ってからも浄水することができ、給水拠点となっていました。激しい揺れに耐え、電源を失っても動き続ける。この浄水場にはどんな秘密があったのでしょうか。
目次へ移動 水道にかかるエネルギー
ところであなたは、自分が利用している水道水が、どこの浄水場でつくられたものか知っていますか。浄水場によって、できる水の質、かかるコストやエネルギーは変わります。
そもそも上下水道には多くのエネルギーが使用されています。上水道では、水源からの取水・導水、浄水処理、各家庭まで送水・配水に、年間約79億kWh。下水道でも、導水、下水処理、放水に年間約71億kWh。上下水道合わせて年間約150億kWhということになり、これは原子力発電所1.5基が創出するエネルギー量に匹敵します。
浄水方法には、緩速(かんそく)ろ過、急速ろ過、膜ろ過があります。それぞれにかかるエネルギーを比べると、緩速ろ過、急速ろ過、膜ろ過という順番になります。
目次へ移動 安全・低コスト・省エネの生物浄化法
そこで緩速ろ過に詳しい中本信忠さん(地域水道支援センター理事長・信州大学名誉教授)に話を聞きました。
「緩速ろ過という名前は、砂にゆっくり水を流して物理的にろ過することからつけられましたが、これは古い認識です。
実際には、ろ過槽の表面に棲んでいる、目に見えない生物群集の働きで水をきれいにすることだとわかっています。そのスピードは速く、けっして緩速ではありません。ですから『生物浄化法』という名前で呼ぶほうが実態にあっています。
薬の力は使わず、自然の力で水をきれいにするしくみは、森の土壌が水をきれいにする自然界のしくみをコンパクトに再現したものです。
震災直後も生物浄化法(緩速ろ過)の浄水場は、安全な水をつくる役割を果たしました。
その理由は、シンプルで壊れにくい構造であること、浄水過程で電力を必要としないこと、塩素以外の薬剤を必要としないことによります。過酷な状況下でも平常の機能を失いませんでした」
さらに放射性物質の除去にも優位に働くというデータもあります(島根県衛生公害研究所報 第28号)。ヨウ素-131の除去率は34〜38%、ルテニウム-103は66〜68%、セシウム-137は82%とそれぞれ報告されています。
目次へ移動 急速ろ過の欠点
一方、現在もっとも一般的な浄水方法は急速ろ過といいます。もともと日本では生物浄化法が採用されていましたが、戦後多くの浄水場が、急速ろ過に切り換えられました。
急速ろ過は、薬(凝集剤)によって水に含まれる汚れを沈め、上ずみをジャリや砂でろ過し、スピーディーに大量の水をつくることができます。
「大規模」「集中」型の施設で効率よく浄水する反面、いくつかの欠点もあります。まず、水溶性有機物やアンモニアを除去することができないので、塩素による殺菌を行う必要があります。また、マンガン、臭気、合成洗剤なども除去することができないので、水の味は悪くなります。
このため東京など都市部の水道では、高度浄水処理が行われるようになりました。急速ろ過では十分に対応できないカビ臭、カルキ臭などの原因物質をオゾン処理、生物活性炭などで処理します。
クリプトスポリジウムという原虫により水道水が汚染され、集団下痢が発生したこともありました。クリプトスポリジウムは塩素では死滅しないので、膜ろ過(ミクロの孔のあいたフィルターを通し、原水中の濁りや汚れを除去する)が奨励されました。
中本さんはこう語ります。
「生物浄化法が急速ろ過へと移行することで、水需要の急速な伸びに大規模・集中的に対応し、維持管理の自動化など合理的な面もあります。しかし、一方でカビ臭問題、クリプト原虫の汚染問題などは急速ろ過法の技術的な「穴」であって、生物浄化法のままであれば問題はおきなかったことでしょう」
これらの問題に技術力で対処すべく、活性炭投入、オゾン処理、膜処理など、さまざまなアップデートが繰り返されました。これによって設備投資や消耗品などのコストとエネルギーが必要になり、水道事業の財政は苦しくなりました。
水道事業は、コストを利用者数で頭割りすることが原則なので、利用者数の少ない小規模コミュニティーほど、水道料金が高くなるなど負担が顕在化しています。
自治体ごとの水道料金差は大きく、一般家庭での平均的な使用料である月20トン(口径20ミリ、2010年4月現在)の料金を比較すると、全国で一番高いのは熊本県宇城市旧三角町地区の1万2600円、最も安いのは山梨県笛吹市旧芦川村地区の840円となっています。
目次へ移動 原虫対策で生物浄化法を選択した町
1997年、岡山県哲多町(現新見市)は、県の水質検査機関から、原水にクリプトスポリジウム(原虫)らしきものを検出したという通知を受けました。厚生省(当時)は緊急給水停止と浄水処理を要請しました。
哲多町の水道担当者に当時の話を聞きました。
「もともと哲多町は、浄水施設がなくてもよいほどの良質な原水に恵まれていました。浄水場のなかった哲多町は、この問題によって浄水場を新設しないと給水できないという事態に直面したのです」
哲多町では会議が重ねられ、「安全でおいしく安い水を供給できる」(担当者)と生物浄化法(緩速ろ過)の浄水施設の導入を決めました。
厚生省は、クリプト対策指針では急速ろ過、緩速ろ過、膜ろ過のいずれの処理施設でもよいとしながら、膜ろ過以外には補助金を出さない方針でした(後に急速ろ過、緩速ろ過にも補助金を出す方針に転換)。
それでも哲多町は生物浄化法(緩速ろ過)の導入を決めました。その理由について担当者はこう言います。
「建設費、維持・管理費が安いからです。また急速ろ過では、それまでと比べて塩素投入量が格段に増えるので、町民の健康リスクが高くなると考えました」
目次へ移動 ビール会社に選ばれた剣崎浄水場
群馬県高崎市にある剣崎浄水場は、明治43年に創設された高崎市で最も古い浄水場です。生物浄化法の浄水場はシンプルな構造で長持ちするので、明治、大正期に建設されたものが、いまでも現役で稼動しています。
ここにはかつてキリンビールの工場がありました。ビール会社が醸造工場を建設するに当たり、日本各地の水源や水道を調べ、この地を選んだのです。
この浄水場を訪ね、特別に水を飲ませてもらったことがあります。浄水場の人が、ろ過したばかりの塩素を加えていない「できたての水」をもってきてくれました(本来、水道水は塩素を添加して供給することが法律で定められています)。浄水場の人は、紙に赤マジックで線をひき、そのうえに水の入った透明のコップをおきました。
「どうです。すごい透明度でしょう」
私も水の透明度をみるときに、しばしばこの方法を使いますがが、これほどはっきりと赤線の見えた水は初めてでした。
「飲んでみてください」
水を口にふくむと、少し甘みを感じました。すっきりとしていますが、飲みごたえがありました。その後、この水でコーヒーをいれてもらいました。その味はいまだに忘れることができません。
剣崎浄水場では、烏川の水を、群馬郡榛名町の春日堰から取り入れ、土地の高低差を利用して浄水場まで運び、生物浄化法できれいにしています。導水にかかるエネルギーも使用しない、理想的なかたちと言えます。
目次へ移動 稼働以来一度もメンテナンスしていない西原浄水場
生物浄化法は適切に管理すれば、メンテナンスはほとんど必要ありません。腐った藻や砂ろ過槽にたまった汚泥をときどき取り除く程度です。
長野県須坂市にある生物浄化法の西原浄水場は、草ぼうぼうで誰もいない小さな浄水場。電機は管理用のメーターのみ。設備のメンテナンスどころか、管理もいらないというのだから驚きます。
須坂市の水道担当者によると、「2004年に稼動開始しましたが、その後まったくメンテナンスをしていない」のだそう。それでもボトリングして売れるほどの水(『蔵水』。現在は販売中止)ができています。
中本さんはこう説明します。
「生物浄化法で大切なのは、生物群集にきちんと働いてもらえるよう考えることです。生物群集が働く環境さえ整っていれば、人間が手を加える必要はないのです。
『緩速ろ過』という名前が浸透しているために、水をゆっくり流さなくてはいけない、そのために給水量が少ない、といわれていますがそんなことはありません。自然の伏流水は流れにスピードがあっても、きれいな水が湧きだしています。
むしろ大切なのは水を流すスピードを変えないこと。速くても一定であれば生物群集は活発にはたらくことができます」
目次へ移動 各地で復活する生物浄化法
最近、生物浄化法の安全・低コスト・省エネというメリットに注目し、浄水方法を見直す水道事業者が現れました。
広島県三原市の西野浄水場では、急速ろ過と生物浄化法を併用していましたが、2004年に生物浄化法一本の浄水場となりました。
宮城県美里町では2008年に生物浄化法の浄水場が稼働しました。美里町の水道担当者はこういいます。
「美里町では、これまで急速ろ過の浄水場で水を賄ってきましたが、老朽化にともない新しい浄水場が必要となりました。その際、住民の意思で緩速ろ過を採用したのです。おいしい水ができて、低コストであることが決めてとなりました」
沖縄県の伊良部島は生物浄化法でしたが、その後、急速ろ過と膜処理を導入しました。しかし、莫大な経費がかかり借金が膨らみました。そこで宮古島市との合併を機に、中止した生物浄化法と膜処理を一緒に動かすことでコスト削減を図っています。
沖縄県北谷町の北谷浄水場では、海水淡水化処理施設を建設しましたが、動かすと莫大な維持費が発生し、赤字が膨らみます。そこで緊急用にだけ動かすことにしました。
目次へ移動 限界集落を救った緩速ろ過
大分県の山間部には、住民が十数人という小さな集落が点在しています。 大分県の水道担当者がこんな話をしてくれました。
「こういうところは水道が敷設されておらず、昔からある浅井戸水を利用しています。ところが近年、井戸水から鉄やマンガン、雑菌などが検出されるようになり、飲用不適になりました。しかし、十数人の集落に新たに水道を敷設することが財政的に厳しい。そこで生物浄化法ユニットを設置しました」
金属製のコンテナのなかに石や砂をいれ、そこに汚れた井戸水を通過させると、生物群集のはたらきによってきれいな水ができあがります。
「十数万円という低コストで安全な水が供給できるようになりました。現在、時間をかけてさまざまなデータをとっており、安定的に使用できるとわかったら、生物浄化法ユニットを販売する計画もあります」
厳しい水道経営に対処するため、厚生労働省はスケールメリットで対応すべく「広域化」という方針を打ち出していますが、このような小規模集落までも含めた広域化は実際には厳しいと予測されます。そのようなケースでは、こうした生物浄化法(緩速ろ過)ユニットが活躍するでしょう。
目次へ移動 エネルギーを生み出す西野浄水場、砂払浄水場
広島県三原市の西野浄水場では、配水池(浄水がおわった水を地下のタンクに貯蔵する)の上の部分の土地を有効活用し、太陽光発電設備を備え、年間約1万1000kWhの電力を発電します。生物浄化法そのものには電力は必要ありませんが、西野浄水場で使うすべての電力の15.2%が太陽光発電でまかなえています。
今後、太陽光発電の性能が上がり、コストが下がっていけば、さらに多くのエネルギーを発電できるようになります。そうすれば浄水場はエネルギーを自給できるようになり、さらにはエネルギー基地として活躍できるようになるでしょう。
太陽電池モジュールは、設置コストが高く、なかなか採算が合わないという課題がありますが、長野県飯田市の砂払浄水場は、おひさま進歩エネルギー株式会社が運営するファンドによって太陽電池パネルが設置されました。
同社の原社長はこう語ります。
「砂払浄水場では、市民出資で太陽電池パネルが設置されました。太陽電池パネルは、浄水場内で使用する以上の電力を発電し、余剰分は中部電力に売り、出資者に還元しています。各地の浄水場には広い敷地があるので、このスキームを使って、水と電気を供給する存在になれるのではないでしょうか」
ふだん何気なくつかっている水道水ですが、その背景にはたくさんのコストとエネルギーがかかっています。これを減らしながら、安全な水を供給することがとても大切です。生物浄化法は、「安全」・「低コスト」・「省エネ」水道へのシフトを考えるうえで、キーとなる技術といえるでしょう。
著者プロフィール
橋本淳司
著述家、アクアスフィア代表、日本水フォーラム節水リーダー(http://www.waterforum.jp/jpn/)。公正で持続的な水利用を願いつつ、各地の水問題を取材し、水をテーマに執筆活動を行っている。同時に、子どもや一般を対象に、水の大切さ、世界各地の水事情を伝える「水の授業」を行っている。著書に『水問題の重要性に気づいていない日本人』(PHP 研究所)、『おいしい水きれいな水』(日本実業出版社)『67億人の水 「争奪」から「持続可能」へ』(日本経済新聞出版社)など。Think the Earthプロジェクト「みずのがっこう」副校長。
取材・執筆・写真:橋本淳司
編集:風間美穂、上田壮一(Think the Earthプロジェクト)