自給率がたった4%と言われる日本のエネルギー。東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、遠い国の限りある資源に依存し、大きなエネルギー供給システムの中に組み込まれた現在の生活に不安を感じた人も多いのではないでしょうか。 震災前からエネルギーの地産地消を高く目標に掲げ、 太陽光や森、水といった自然の恵みを自分たちが使う電気や熱源に活用するプランを積極的に検討してきたのが長野県飯田市です。自分たちが使うエネルギーをコミュニティーの中に取り戻そうと熱心に取り組む同市の中心的存在であるおひさま進歩エネルギーを取材しました。
(タイトル写真提供:おひさま進歩エネルギー)
(Text by Mitsuko Iwai)
目次へ移動 おひさまエネルギーに恵まれた土地
飯田市は長野県南部、南信州と呼ばれるエリアの中核都市です。都内からは高速バスで4時間ほど。面積は東京23区を合わせたよりも少し広いくらいですが、人口約10万5000人のゆったりとした都市です。河岸段丘の高低差があるまち並みは 南アルプス、中央アルプスの美しい山々に囲まれ、どこから見ても絵になる風景です。
飯田の日照時間は国内最高レベルの年間2000時間超。元来「おひさまエネルギー」に恵まれた土地とあって、近年の太陽光発電の急速な広まりも、飯田ならではの仕組みをともなって実現しました。おひさま進歩エネルギーが2005年に始めた市民出資による太陽光発電事業では、保育園など公共施設や事業所162カ所に太陽光パネルが設置されました。補助金や買い取り制度などの優遇措置もあるため、今年度は飯田市全体で400件を超える勢いで設置が進んでいるそうです。特に、2009年に始まった設置費用0円で太陽光発電を始められる「おひさま0円システム」は個人住宅での普及の追い風となりました。
0円システムとは、おひさま進歩エネルギーが希望者の住宅の耐震強度などを調査した上でメーカーや設置業者を選定し、設備を無償で取り付けるというものです。住民は9年間電力のサービスを受け、その間メンテナンスなどのサービスを受けつつ、月1万9800円のサービス料をおひさま進歩に支払います。10年経ったら設備は住民に譲渡されます。
目次へ移動 0円システムで夢が広がる
実際に0円システムで太陽光発電を導入した方にお話をうかがいました。佐々木政臣さんは、市内の中学校で特別支援教育を担当する先生です。
「以前からずっと太陽光発電をやりたいと思っていましたが、設置するには最初に大きなお金が必要です。国や市からの補助はわずかだから元出がないと無理ですよね。お金がないものにとっては0円システムのような仕組みはありがたい 。あと新築の家は耐震強度が十分あるけれど、我が家は古いから無理ではないかと思ったのも渋っていた要因。おひさまではその辺りもきちんと調べてくれました」
中部電力の料金表を昨年分も丁寧に保管している佐々木さん。導入後の電気代を聞いたところ、「例えば7月の売電は1万3000円で、買った分が6600円ちょっと。毎月1万9800円をサービス料として支払うので(売電分を差し引いて)1万3000円くらいの支払いで済みます。結構お得だなという印象です」。ちなみに設置前の同時期の電気代は1万5000円ほどだったそう。
太陽光発電を家に導入したことで、佐々木さんは意識がずいぶん変わったと言います。「 個人の家でも夢が広がるというかね、きっかけとして大きいですよ。 やりたいこともいろいろ出てくる 。中古パネルでの発電や蓄電器にも興味が湧いてきました。家の周囲に用水路があるので、おひさま進歩エネルギーのアンケートには、今後小水力もやれたらいいですねと書きました」
目次へ移動 大反響を呼んだ市民ファンド
おひさま進歩エネルギーは現在株式会社ですが、母体は2004年2月に立ち上がったNPO法人南信州おひさま進歩でした。中心人物の原亮弘(あきひろ)さんは、もともと金融サービス業に勤めていたサラリーマン。 以前から飯田で盛んだった公民館活動の中で、名古屋大で燃焼問題を研究していたお兄さんも交えた産官学の有志で集まり、勉強会を重ねたことが原さんの意識を高めました。故郷で温暖化問題に貢献したいと会社員生活にピリオドを打ったのが11年前の51歳のとき。個人事務所を開き、デマンド(需要電力)監視をして基本料金を下げるなどといった省エネプランを企業に提案するビジネスを始めたものの、当初はなかなか理解を得られなかったそうです。
転機になったのは、環境省がエコノミーとエコロジーをうまく循環させる全国各地の試みを支援しようと始めた、いわゆる「まほろば事業」。3年間で5億円弱のこの大規模な補助金事業を同年7月、環境文化都市を掲げていた飯田市が採択。その事業主体として、民間会社を立ち上げないかと原さんに声がかかったのです。NPO法人として、既に寄付型の太陽光市民共同発電所の設置に取り組んでいた原さんたちは、これを機におひさま進歩エネルギー有限会社を設立。本格的に市民力を盛り込んだ事業を展開しようと、市民ファンドによる太陽光発電設置事業や省エネ事業に乗り出します。
市民出資を2億円集めることになった初年度、「飯田で果たして2億円なんて大金が集まるのか」といった声が多く上がりました。原さん自身も不安があったと言います。しかし、会社立ち上げのときに熱心にサポートしてくれた環境エネルギー政策研究所(ISEP)のスタッフが、北海道で市民出資による風車を設置した経験から原さんを勇気づけました。「市民出資は『飯田』市民出資と思いがちだが、そうではない。温暖化に関心のある人は日本全国にもっといっぱいいる」と募集対象を全国に広げることを薦めたのです。いざふたを開けてみるとその通り。市民ファンドは大きな関心を呼び、2億150万円分はわずか2カ月で満了に。初年度は市内の保育園など38カ所に計208キロワットの太陽光発電を一気に設置することができたのです。
市民出資が成功した要因として「市職員の熱意も大きかった」と原さんは振り返ります。「始めはそんなことできるわけないって、私の前で上司に怒られてましたものね。相当叩かれても、自分のことのようにやってくれました」。市民ファンドは出資者に10年、あるいは15年(延長で20年)でお金を返していく計画でしたが、行政財産である保育園や公民館の屋根での発電は地方自治法で「目的外使用」に当たります。長期間の契約は先例がありませんでしたが、20年間確実に借りられなければ市民ファンドの信頼にかかわります。担当課と管理側で白熱した議論が起こりましたが、最終的には市長判断で許可が下りました。そのように立ち現れた行政の壁を一緒に乗り越えた当時の職員は、今でも原さんの大切な友人であり、協力者だと言います。
目次へ移動 子どもの「科学の心」を支援する
これまでに5つの市民ファンドが立ち上がり、出資額はすべて順調に集まりました。市民有志の寄付という形でパネルを設置した記念すべき第1号は市内の明星保育園でした。
主任の山内ひろみ先生と遠山友紀先生にお話をうかがいました 。明星保育園では太陽光発電の存在を日ごろの保育に上手につなげています。
園では連絡帳を通して保護者と日々コミュニケーションをとっていますが、そこから生まれたのが 環境に特化した「おひさま便り」という園便り。「家でも電気を消して回り、ついに主電源まで消してしまった!」などと、園で高まった省エネ意識を家でも発揮している子どもたちのほほ笑ましいエピソードがたくさん寄せられるようになり、皆で共有しようと月1度発行するようになったそうです。
また、園では科学教育にも取り組んでいます。小さな手作りのソーラーカーで遊んだり、アルミを張ったスピーカー型の手作りソーラーオーブンで集光してお湯を湧かしたり、ピザを作ったり。「科学の心って、保育の基本につながることに気づいたんです。子どもの気づきをどう解決するかを保育士が支援をして、子どもたちが自ら検証していけるようにするのは、まさに日々の保育と同じ」と山内先生。そんな風にごく自然な形で科学の入り口を準備してもらえる子どもたちは幸せだなあと思いました。
目次へ移動 徹底した熱利用で省エネする温泉旅館
さて、おひさま進歩ではエネルギーを「創る」事業に対して、「省く」事業にも力を入れています。省エネ事業は Energy Service Companyを略してエスコ(ESCO)と呼びます。おひさま進歩では、顧客のエネルギー効率を見直して光熱費の削減につなげるプランの提案や、設置業者の選定、補助金申請の代行といったエスコ事業を行っています。
ただ、顧客の中には熱供給などのシステム回路について、非常に詳しい人もいます。アイデア豊富で自ら回路を書いてしまうほど無駄を省くのが大好き(!)な市内の温泉旅館・三宜亭(さんぎてい)本館の児島悦夫社長に館内を案内してもらいました。
冬の灯油の値上がりはどの旅館にとっても頭の痛いところ。「だったら灯油ボイラーを動かさないのが一番いい。うちのはほこりかぶっちゃってるよ」と児島社長。2007年度に環境省の補助金を申請して木材を燃料とするボイラーを導入しました。 無償に近い廃木材を燃料として再資源化することで大幅なコスト削減を実現、炉の熱は熱交換してお風呂の昇温や給湯に活用し、 既存の灯油ボイラーを極力稼働させないようにするシステムを作り上げたのです。
翌年には再びおひさま進歩との連携で排湯を利用したヒートポンプも追加しました。ヒートポンプとは圧縮すると高温になる熱の特質を活用した装置。お風呂からあふれ出た湯を昼間のうちに地下の30トンのタンクに貯めておき、安価な深夜電力で熱をかけます。これを源泉を貯めてある40トンのタンクと熱交換することによって33度の源泉を45度に上げ、やはり灯油ボイラーを極力稼働させないようにしています。もともと排湯の温度自体もぬる湯程度はあるのでヒートポンプの効率も良く、年間灯油削減量は23.5キロリットルになりました。
目次へ移動 キノコ農家でも熱源や電力を省エネ
次は約70軒のキノコ農家が集まっている上郷地区へ。 2005年からブナシメジ(やまびこしめじ)を育てた後の廃菌床を熱源にしたボイラーを導入し、殺菌に活用している農家さんがいると聞き、設備を見学させてもらいました。
さくらファームでは、365日24時間ノンストップでブナシメジの人工栽培を続けています 。オガ粉や粉砕したトウモロコシの芯などを主な材料にした培地を殺菌する過程で灯油ボイラーを使っていましたが、8時間の燃焼に250-300リットルの灯油が必要でした。月15回行う作業ですから、結構な負担です。 そこで社長の桜井俊美さんが導入したのが、この廃菌床焚きボイラーでした。
最初は試行錯誤の連続で、投入した培地がうまく燃えずに苦労したそうですが、現在では立ち上がりに灯油を使う程度で済むようになり、70%近くの削減に成功しました。
また、昨年12月末には、栽培室の消費電力を抑えようと、330本の蛍光灯を660本のLED照明に変えました。湿度が約90%もある過酷な環境に合わせ、防水機能を付加して開発したものです。設置数が倍になった理由は、LEDは直下に光が集中しやすいので左右均等につけないと光の方を向く性質のあるキノコが曲がって生育してしまうから。
10年ほど音響機器メーカーに勤めた経験のある桜井さんは、実はこうした新しい機材が奥さんからたしなめられるくらい「好き」。三宜亭の児島さんにしても、桜井さんにしても、省エネのパイオニアとなる人たちは基本的に新しい機材をあれこれ試したり、システムを作り上げることが純粋に好きなのだなと思いました。
目次へ移動 「結いの田」の精神で自然エネルギー先進地に
飯田市の担当課である地球温暖化対策課の小川博さんのお話もうかがいました。市民を巻き込んだ太陽光の先駆的な取り組みは、飯田市にとっても大きなターニングポイントとなりました。 0円システム立ち上げの際、地元の信用金庫がきちんと融資してくれたのも「新しい自然エネルギービジネスの実績に金融機関が可能性を見いだしたからこそ」
太陽光に続いて今、飯田で最もホットな自然エネルギーが小水力発電です。小水力とは1万キロワット以下の水力発電のこと。2012年7月から太陽光以外にも広がる自然エネルギーの固定価格買い取り制度や法律緩和の動きなども見据えて、総務省「緑の分権改革」推進事業の委託を受けた実証調査が市南東部にある上村の小沢川で行われています。小沢川は流量が安定していて取水での落差もとれ、周囲に発電所の建物をおくスペースも十分にあるなど、小水力発電所設置の必要条件を満たしていました。今年度は実際に発電が可能かどうか、細かな流量実測を行っていきます。また実現に向け、村内関係者との協議も昨年度から始まりました。
上村は標高約1000メートル。過疎化が地域の大きな課題ですが、逆に小水力発電によって地域を活性化できる可能性のある場所です。固定価格買い取り制度で得られる収入をキャッシュフローに金融機関からの融資や地域内外からの市民出資を受け、事業の利益を地域の様々な課題に分配していけるような市民参加型の事業の仕組みを構想しています。
行政がかかわる大きな理由は、国土の保全上、大切な資源である河川での発電事業は公益性に加え、採算性もきちんと確保しなければならないため。 河川は基本的に国の管轄ですから河川法や森林関連の法律、電力事業法と国の各省庁や電力会社が絡む様々な法律がかかわってきます。 個々の建物で完結する太陽光とは違って実現までの道のりが険しいことは確かですが、だからこそ「地域全体でかかわることのできる可能性を持った自然エネルギー」と小川さんは前向きにとらえています。
飯田市は環境モデル都市として2050年までに温室効果ガスの排出量を(2005年比で)70%削減する野心的な目標を立てています。2011年度にロードマップが作成されました。
飯田市が作ったパンフレットには今から30年後を思い描いたこんなストーリーがありました。
80歳になったAさん夫婦は太陽熱とバイオマスでエネルギー供給された高齢者向けのコーポラティブハウス(※)に住んでいます。デマンド交通もあり、移動など暮らしの負担は最小限に抑えられています。息子家族は若年者用の別のコーポラティブハウスに住み、在宅中心の勤務でリニア中央新幹線で週一度本社に通っています。環境関連の研究者・技術者・教育担当者などによるインターンシップやエコツーリズムも盛んで様々な人が飯田を訪れます。
「右肩上がりの経済とかではなく、環境付加価値の高い暮らしをしていることをPRしながら、都市部の人たちの定住や交流を引きつけられるよう結びつきを強めていく。数値目標だけでなく、そういう結びつきが起爆剤となって新しい地域が生まれていくことをうまくイメージできるといい」、小川さんはそう説明します。 飯田の語源は農作業の手間を交換し合う「結いの田」だそうですが、 新しい価値観で地域を築いていく先進地として、まさにふさわしい地名なのだなと思いました。
目次へ移動 ソーシャルビジネスでお金と思いを「見える化」させる
取材をしていて感じたのは、原さんをはじめ、それぞれの思いの点がつながって力強い線になっているということでした。寄付型の3キロワットの太陽光パネル設置から始まった取り組みが5年余りで162カ所に広がり、今ではバイオマス、そして、小水力も組み入れたエコタウン構想へと広がっています。原さん自身「こんな展開になるとは夢にも思わなかった」そうです。
南信州全体で約5万世帯あると考えれば、太陽光の広がりもまだ微々たる変化なのかもしれませんが、市民出資という形でお金の動きを「見える」ようにしたこと、そのことがとても大きな意味を持ったように思います。「トヨタ自動車が70年前に1台の車づくりから始まったように、おひさま進歩エネルギーも70年後が楽しみ」と、原さんは顔をほころばせます。
震災後の需要の高まりを受け、太陽光に参入する会社も増えていますが、原さんのスタンスは変わりません。「大手にできないこともいっぱいあると思うんですよ。規模はあってもある程度の利益が出ないと手を出しにくいとか。そこをどう地域で丁寧にやっていくか。 まさにソーシャルビジネス。そこが一番大事だと思いますね 」
飯田市は森林率84%と森林資源にも非常に恵まれた中山間地域ですが、原さんも「最もダイナミック」と注目するのがバイオマス。市では7年前から南信州バイオマス協同組合が端材から作るペレットを学校や公共施設でストーブの燃料として利用したり、薪ストーブの愛好家が森に入って薪を切り出す「薪(まき)人」事業などを熱供給政策として展開しています。山の木を切り出し、建築用材と建築用材にならなかったものの2つの大きな流れにたくさんの人がかかわり、雇用も生まれます。これまで切り捨てておくしかなかった間伐材を搬出することで流通経路ができ、森の資源が循環していく。自然エネルギーは人間にとってのメリットばかりではありません。
自然エネルギーは割高だと言う人もいますが、安い、高いだけの観点ではなく、森や川とのかかわりなど付随する多面的な価値を読み取る力が、市民に求められることを感じました。そもそも豊かさとは何なのか、そんなことも考えさせられます。取材の中で人口比率では限界集落と見られてしまう上村が小水力の最適地として候補に選ばれたことが印象的でした。自然エネルギーという切り口から見れば、飯田のような中山間地はまさにエネルギーの宝庫。日本地図がまったく違って見えてきます。
原さんは事業を「見える化」させる、と繰り返し語っていました。原さんが勇気を出して思いを可視化させたことから始まって「そうだ、そうだ」と小さな思いが寄り集まり、未来を変える流れに育っているのを感じました。まさに市民力だと思いました。 多くの情報が見えにくく、市民の手の届かないところにある原発とは非常に対照的です。 現状を変えたいと願う一人ひとりの思いとお金の流れを「見える化」させることで市民の手に、コミュニティーの中に、少しずつエネルギーを取り戻すことができる。そう信じて突き進む飯田市民のチャレンジはきっと日本全国に元気を与えてくれるはずです。
関連URL
おひさま進歩エネルギー
http://www.ohisama-energy.co.jp/
飯田市環境情報
http://www.city.iida.lg.jp/iidasypher/kankyo/
岩井光子 略歴
地元の美術館・新聞社を経てフリーに。2002年、行政文化事業の記録本への参加を機に、地域に受け継がれる思いや暮らしに興味を持つ。農家の定点観測をテーマにした冊子「里見通信」を2004年に発刊。地球ニュース編集スタッフ。高崎在住。
取材・執筆:岩井光子
写真:イノマタトシ
編集:上田壮一(Think the Earth)