知的に障がいのある人の創作活動はピュアな力強さにあふれている――。彼らは生活面ではサポートが必要でも、精神面では逆に私たちの方が学ぶことが多いのではないか。そんな思いを確信に変え、干渉が行き過ぎてしまうパターナリズムより、本人の自由意志を尊重するインクルーシブな福祉の実現を目指す鹿児島のしょうぶ学園。他人との比較や競争ばかりに気をとられてしまう私たち一般人が引き起こしている現代社会の問題を考えるとき、彼らのブレのない姿勢、人間らしさ、平和を好む特性などから教えられることは、本当にたくさんあるのです。施設長の福森伸さんにお話をうかがいながら、学園を見学させてもらいました。
(text by Mitsuko Iwai)
目次へ移動 そろわない音の衝撃
2014年12月5日、お台場の日本科学未来館で開かれたしょうぶ学園の音楽グループ「otto&orabu」と高木正勝さんのライブパフォーマンスに足を運びました。メンバーの皆さんもとても楽しみにしていた都内初公演。会場は開始前から立ち見が出るほどで、終始熱気に包まれていました。
音をそろえるばかりが美しいのだろうか――。otto&orabuは福森さんのそんな問いかけから生まれたと言います。細かな譜面はなく、障がいのある人たちはのびのびと気持ち良さそうに楽器を奏でたり、ステップを踏んだりしています。音やリズムが時折ズレを生むのですが、曲全体の不思議な空気感がその外しをうまく包み込んでいて、知らぬ間にotto&orabuの世界に引き込まれてしまいます。
otto&orabuを一躍有名にしたファッションブランド「niko and...」のCM起用曲「ポンピドゥ〜道化師の唄」も終盤で演奏されました。アコーディオンやピアニカ、木琴が繰り返す印象的なフレーズをベースに、ジャンベやガムランなどの打楽器、躍動感のあるダンス、顔を白塗りにしたorabu隊の叫びなどが重層的に加わっていき、とてもパワフルでした。
絵画や木工、刺しゅうでも作業所という枠を大きく越え、独特の表現世界を築き上げているしょうぶ学園。otto&orabuの音楽のように、障がいを持った人たちの感性をそのまま肯定し、歩み寄っていくという学園の心の根っこ(SHOBU STYLE)についてもっと知りたくなり、鹿児島へ向かいました。
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世界が注目する福祉の現場へ
しょうぶ学園は鹿児島空港から車で30分ほどのところにありました。高速沿いに煙の上がる桜島を見て、鹿児島に来たことを実感しました。しょうぶ学園を運営する社会福祉法人太陽会「SHOBU」は、鹿児島市郊外に広がる吉野台地の一角にあります。
「正門を入ると、さっそくパン屋さん「ポンピ堂」の名物立て看板が出迎えてくれました。同店で働く伊藤勇二さんが2007年からほぼ毎日書いているメッセージ黒板です。お天気の話題に始まり、伊藤さんが心に留めているニューストピックス、「女性や子どもにやさしくしましょう」といった道徳的な一文までが一気につづられていて、不思議な魅力があります。過去のメッセージ集は『カリヨン黒板日誌』という本にもなりました。
しょうぶ学園の敷地は約8,700平方メートル。知的障がい者更生施設としてスタートしたのが約40年前の1973年のこと。当初は作業指導班で大島紬や竹細工の下請けなどをやっていましたが、1980年代から90年代にかけて障がいを持った人たちのこだわりや行為を、モノ作りを通してそのまま発信する「工房しょうぶ」の方向性が定まり、学園の個性を際立たせてきました。
今では事業は広がり、自立支援事業(ささえあうくらし)、文化創造事業(つくりだすくらし)、地域交流事業(つながりあうくらし)の3つの分野で多彩なプログラムを提供しています。障がいを持った人たちがその人らしく生きることを支援する学園の大きな指針「SHOBU STYLE」は、事業全体を表す障がい者支援センター名として掲げられています。
敷地内外には寮やグループホーム、デイサービスセンターなどが点々とあり、寮暮らしをしている入所者が約40人。他は自宅やグループホームから通ってくる利用者で、トータルで120人ほどになります。地域の誰もが気軽に立ち寄れるおいしいそば屋さんがオープンしたのはここ数年のこと。施設の利用者が働く食の工房も充実してきました。
福森伸さんと約束した時間まで、レストランでお昼を食べました。温かみのある木のお皿はすべて工房で作られたもの。働いている園生たちの接客も落ち着いていて、丁寧でした。
目次へ移動 彼らの自由を考えたらすべてが変わった
福森さんに最初に案内してもらったのが園の端っこにある木の工房です。しょうぶ学園は福森さんの両親が始めた施設で、末っ子の福森さんはいわば、跡取り息子。大学卒業後、アメリカでの放浪生活や東京でのアルバイト生活を経て故郷へ戻り、学園に就職して1988年に立ち上げたのがこの木の工房でした。いすなどの家具を作れる設備が整い、漆も扱っています。
工房内では、のみで木の器を彫る人、製品にやすりをかける人、木のボタンを電動のこぎりで切り出す人などがいます。この中に学園の職員と、就労支援を受けている人、木工を楽しむ利用者がいるそうですが、はた目には区別がつきません。
「始めは作らせようとしていた」、福森さんはそう言います。でも、利用者の中には器に穴があくまで彫ってしまったり、「加減」がわからない人も。すべて木くずにしてしまい、「終わった!」と言ってきた利用者もいたそうです。福森さんは個々の進度に合わせてタイマーをセットし、彫り過ぎないところでアラームが鳴るような仕組みを作ったりしたものの、むなしさに襲われたと言います。
「できさせちゃうマシーンですよね。機械みたいで。本人と離れたところで、僕らは一体何をやっているのだろうって。本人は器を作るつもりはなくて、職員は器を作るつもりで、彫り過ぎだと言われても、本人はまだ彫り足りないのかもしれない。一方的に彫り過ぎを主張する。これは相手を尊重しない不本意の押しつけではないかと思い始めたのです」
福森さんは深く悩んだと言います。みんなで同じ商品を作ろうとすれば、障がいの重い人と軽い人の間にどうしても優劣がついてしまう。それをせずに、生産性を上げるためにはどうしたらいいのだろう。
そこで、障がいの程度に合わせてのこぎりやハンマーで板にキズをつけてもらうなど、できることをしてもらう。キズの痕跡を「装飾」ととらえ、職員がお盆などに仕上げる。つまり、商品生産を健常者の論理にひきつけず、ノルマとプレッシャーは基本職員が引き受ける。そうすることで、障がいの重い人も一律に「できる」に変わっていく。そういう新しいシステム作りにチャレンジしていったのです。
学園の手づくり商品はどれも魅力的なのですが、これは当初から、あえて地元から遠く離れた福岡や全国各地のギャラリーに商品を置き、お客の好みや率直な意見を吸収しながら、商品力を磨いてきた成果だと聞き、驚きました。
「僕らの方がずっといやらしいですよ。お金や他人の目ばかり気にしているからすぐにブレる」、福森さんはニヤッとします。「生活面では、食べ過ぎとか、お風呂の入り過ぎとか、やり過ぎは健康を害するというデメリットがあるけれど、制限されずに彼らの生き方や価値観を表現できるのはモノ作りの世界だということに、だんだん気づいていったのですね。すべて木くずにしてしまうような行為も美しいと思えるようになった。でも、彼らはブレないし、あまり変わってない。今の学園の方向性は、どちらかと言えば、僕らの考えが大きく変わったことからスタートしています」
目次へ移動 完成のかなしみ
福森さんの言う彼らの「行為の美しさ」を最も感じることができたのが、布の工房でした。
この工房から生まれたのが2003年の米オークランドでの企画展を始め、全国各地のギャラリーで高い評価を受けた「nui project(ヌイ プロジェクト)」です。布が縮むほど糸が繰り返し縫い込まれ、立体化したものが床にコロコロ転がっているのを見て、当時刺しゅう班にいた福森さんのパートナーでもある順子(のりこ)さんが言った「でも、これってキレイだよねぇ」からプロジェクトが動き出したと言います。
指示通りに線を縫うのが難しい人たちが作るこうしたかたまりは、下請け作業としては当然「不良品」。福森さんたちは悩んだ末、思い切って彼らの感性のおもむくままに縫ってもらうことにします。こうして、個々のこだわりがそのまま表出した力強い縫いの世界が花開いていったのです。
工房内には、私たちが想像する「ステッチ」とはおよそ違う世界が広がっていました。誰かの真似をする人はひとりもいなくて、みんな自己流の縫い方に没頭しています。作品もそうですが、行為そのものにも彼らの精神世界が投影されているようで、手と心が直結しているとはこういうことなのかと、ちょっと鳥肌が立つような光景でした。
同工房の内村佳代子さんは、「利用者の作品はそのまま額装して展示する場合と、職員がミシンワークなどで手を入れるケースがあります」と説明してくれました。大胆に刺しゅうが施されたコラボシャツやバッグは量産できるものではないので、1〜2年に一度の展覧会を目指してじっくり制作しています。
白いシャツの生地が見えなくなるくらいカラフルな糸をびっしり縫い込んでいくのは、野間口桂介さん。新しい糸を好む利用者が多いなか、野間口さんはゴミ箱に捨てられる切れ端のような糸を好んで使っています。色の順番には野間口さん流のルールがあり、なみ縫いをしては留めるというシンプルな行為を無限に繰り返していきます。
専用スペースで部屋の両端の台からクモの糸のように白い糸を垂らし、独自の世界を繰り広げていたのは、吉本篤史さん。小さな布の破片が散らばった床にひざで立ち、ハサミと口を使って実にリズミカルに作業を続けています。後ろを向いていたので詳しくは見えませんでしたが、数センチの布片の四方を規則的に玉結びしながら縫っているのだそう。
繊維製品をバラバラに解体してしまう吉本さんの行為は、前の施設では問題視されていたそうですが、ここではやりたい作業に集中することができ、スペースも徐々に広がっていきました。
見学をしていて疑問に思ったのは、彼らはどんどん作業を細かくしている、ということ。野間口さんのシャツも「以前は1年半ほどで仕上げていたものを、今はここまで3年かけています。完成には7年くらいかかるのでは」と内村さん。創作には何ら制約はないのに、どうして自ら作業を緻密にしていくのか、福森さんに尋ねてみました。
「僕らの作業は早く終わろうとするからだんだん粗くなる。彼らの作業がだんだん緻密になるのは、行為の瞬間瞬間に喜びがあるからだと思いますよ。完成することがかなしいのでしょう。僕らも楽しい旅行に行って、あぁもう終わるってありますよね。同じ感じなのでは。僕らの制作は完成が喜びだから、"がんばる"なんて言葉がひっついてくるけど、作る喜びをよく知っている彼らの制作姿勢の方が、僕は断然美しいと思いますね」
完成がかなしい―。思いも寄らない視点でした。制約こそがクリエイティブの源泉、などと私たちは言いますが、彼らに比べれば何と腰が引けていることか。
目次へ移動 無人島で絵が描けるか
絵画・造形の工房は衝撃でした。利用者それぞれの画風が強烈なエネルギーを放っているのに、誰も隣の人の影響を受けることはありません。自分の感性を貫く強さはこれほどまでなのかと、思い知らされました。
都美術館の企画展「楽園としての芸術」でもたくさん作品を出品していたもう一人の巨匠、濱田幹雄さんには専用のアトリエがありました。視野狭窄症のため、コントラストの強い表現を好むという濱田さんは、大きく四角を描き、その中に線を引いていくモチーフを大胆に発展させています。アトリエは床もドアもシンクも濱田ワールド全開。圧倒されました。
福森さんがこんな話をしていました。「先日、文化勲章も受章されている洋画家の野見山暁治さんと対談をしたのですが、僕は無人島で絵を描くだろうか...と悩んでおられました。他人を気にせず、無になって自分自身を表現できるかという問いと対峙しているのでしょうが、野見山さんは学園に一度見学来られて、彼らは描くだろうね。いいなぁ、と」
"自分と対峙し続けることこそが芸術の本質であり、人間性を取り戻す道である"と訴えたのは、太陽の塔で知られる岡本太郎。既に作品がアートの域に達している翁長さんや濱田さんは太郎に近い、と福森さんは言います。「自分を信じ、内面から出てくるもので満足を得る。称賛される、されないなどとは全く関係なしに。すごいですよ。そもそも彼らはアートという言葉さえ口にしませんが」
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We're ニューロティピカル
知的に障がいのある人の表現は雄弁でエネルギーにあふれている――。そう実感しました。作為のない彼らの表現には、私たちの中に眠る原始的な感覚を揺り動かす何かがある、とも思いました。
福森さんは、自分たちの見方が変わったことで学園の進むべき方向が見えたと話していましたが、「教えない」という大胆な方針はどのような気持ちをベースにしたものなのか、そのことについてもう少し深く聞きました。
「最近僕が言っているのはニューロティピカル(Neurotypical)という言葉でね。自閉症のアスペルガーというグループの人たちから見た一般人のことをそう呼びます。日本語では定型発達と訳されていますが、非定型発達(Atypical)の彼らから見ると、僕らは"時々うそをつく""自分の都合によって真実を曲げる""流行に左右される"などといった特徴があるそうです。あちらから見れば、これって障がいですよね(笑)」
「そういう目線で見ていくと、両者の間のボーダーはだいぶなくなる。私たちは"偶然にも障がいがなく生まれた"くらいの考えを持った方がいいだろうと。健常と言うと、僕らが当たり前の基準だから、基準からズレているのは向こうに決まっているとなる。でも、どんどん基準からズレているのは僕らの方かもしれない。どんどん戦争もしているし、どんどんおかしなことをし始めている。そうだとしたら、余計に彼らにこちらの基準を強要することはできない。僕らは彼らを健常者に近づけようとして、実は本末転倒で人間らしさを失う練習をさせているのでは、と思えてきたのです」
「多勢が言うことは一般論だけど、正論ではないかもしれない。もしかすると、彼らは少数派だけれども正しいかもしれない。彼らは生活面でできないことはたくさんあるけれど、非常に人間的で平和な生活を営むことができるという特長がある。何とかしてそこの部分を見習うことはできないか――。僕は今、完全にそんな心境になっていますけどね」
自分たちの思い込みの土台を壊し、見方を相対化していくことで、彼らの本意に近づき、寄り添っていく。もちろん、たくさんの創造力も加えて。そんな気持ちの大転換を学園全体で進めていったのはすごいことだなと思いました。
その後、ニューロティピカル(定型発達)とエイティピカル(非定型発達)という二分はわかりやすいけれども、本当は、両者はスペクトラムのように混じり合っているのでは、という話になりました。ニューロティピカルも、理論や常識、言語をつかさどる左脳がなければ表現力が豊かになるといった具合に、自分の中にも無意識に隠しているエイティピカルな部分はきっとあるのだろう、と。そう考えると、彼らとの気持ちの距離はさらに縮まるように思えます。
現代社会はニューロティピカルな考え方が軸になっていて、その特性が善くも悪くも世界を動かしています。でも、学園では、その軸が一般社会より、もう少し両者の中間的なところにある。福森さんは「必然的にそうなっていったのでしょう」と言います。
私たちの社会も、価値観の軸を少し彼らの方へ動かしてみることで、新たな共生社会や、インクルーシブな世界を目指すヒントが見えてくるのかもしれません。考えてみれば、これまでの人類の歴史においてもニューロティピカルの特性にズドンと当てはまった常識人より、両者の境界域にいるような人が世界を切り拓くような発明や表現をたくさんしてきていることは、実は、誰しもが認めていることではないでしょうか。
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彼らの幸福に近いところ
学園は2013年、創立40周年を迎えました。福森さんはその記念誌のエピローグにこう書いています。
僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。やらなければならないことは、彼らが安全に歩ける道をつくることである。
各工房を実際に見学させてもらって心を打たれたのは、利用者を支えるスタッフの皆さんの仕事ぶりでした。誰も芸術のプロではないそうですが、対等な立場でコラボ作品に挑み、商品製作のノルマもこなし、利用者の健康管理や人間関係にも気を配ります。集中力や観察眼、フットワークの軽さなど、場面場面であらゆる引き出しが必要です。
彼ら一人ひとりの自由を尊重するということは、一人ひとりの様子をよく見るということ。それはちょうど、母親が言語をまだ習得していない赤ちゃんの世話をする様子と似ているのかもしれません。お母さんはいつも注意深く赤ちゃんの表情や様子に気を配っているので、言葉のやりとりがなくても、ちょっとした変化にすぐに気づくことができます。
相手の頭や心にすっと入り込む、母親のようなその感覚を福森さんは"福祉センス"と呼んでいました。人間に深く入り込めるか入り込めないかは、もともとの素質も大きいそうです。
学園では近年、地域交流やコミュニケーションをテーマにしたスペースを続けてオープンさせていますが、福森さんは学園のモノ作りの軌跡がそうであったように、地域とのつながり方に関しても国の制度や方針、社会福祉法人の経営先にありきでなく、まずは彼らの幸せに近いところを探るという思索をじっくりと続けています。
「今後、やり方が制度とマッチングしないといったことはあるかもしれませんが、それは恐れないようにしています。変えればいいって思うしね」
福森さんは、長く学園にいる人たちとは中学生の頃からの付き合いになるそうです。「僕のギャグなんて30年くらい一緒ですからね。それでも笑ってくれている(笑)。あの人たちが今から何を求めて生きていくかというと、多分そんなに求めていない気がしている。求めさせる必要があるのかな。いつもハッピーではだめなのかな。成長とは一体何なのか...」
福森さんは多様な価値観の「調和」を独創的な形で実現させた学園の福祉デザインが、混迷する現代社会に何らかのインパクトを与えるはず、と言います。私たちは彼らほどの表現力を身につけることは不可能かもしれませんが、彼らの正直で人間らしい生き方に接すると、何か言葉で表しにくいほどの強烈な感動と共感を覚えるのです。少なくとも私たちは「欲」が行き過ぎてしまった今の世の中の軸について、彼らの生き方を見習いながら深く考えることはできるのだ、そう思いました。
参考サイト:
社会福祉法人太陽会 しょうぶ学園(http://www.shobu.jp)
※現在、2015年度の公開を目指して「しょうぶ学園」のドキュメンタリー映画が製作されています。この映画を応援するクラウドファンディングのページも是非ご覧ください。
→https://motion-gallery.net/projects/sv_shobu-gakuen
岩井光子・略歴
地元の美術館・新聞社を経て2001年よりフリー。Think the Earth地球ニュースの編集、ルミネchorokoのフリーペーパー「ecoshare」、エシカルファッションカレッジのリポート、ICU教育研究所主催の「ウォーターリテラシー・オープンフォーラム」リポートなど。高崎市在住。
取材・文:岩井光子
写真・編集:上田壮一(Think the Earth)