皆さんは自分が住む街のコンセプトや未来像について知っていますか? 地元の空港のカーペットの柄を覚えていますか? この2つの問いに、市民が「Yes!」と答えられる街が、米国北西部オレゴン州の街・ポートランドです。
いまこの街は目覚ましい発展の過程にあります。人口60万人程度の街に、米国中、世界中から観光客が訪れ、毎週350人以上の人が移住しています。毎週のように新しいお店がオープンし、新しいブームの萌芽が次々に生まれているのです。この街を未来の街だと言う人もいます。でも街の風景はハイテクでもピカピカでもありません。
なぜ、米国の小さな地方都市が世界から注目されるのか。何が未来を感じさせるのか。私がこの数年間、現地で見聞きしたこと、ポートランド在住の建築家/都市計画家の友人ボブ・ヘイスティングスへのインタビューを軸に街づくりの歴史を紹介しながら、その理由を探っていこうと思います。
Text by Yuhki Udagawa
目次へ移動 2つの歴史的ショックを乗り越えて
ポートランドという街が成長を続けている背景には、2つの歴史的な「ショック」があります。1970年代のオイルショック、そして2008年のリーマンショックです。2つのショックは相似形を成すというよりは、70年代以来の変革が40年の時を経てリーマンショックを契機に結実しつつあるという形です。
2008年のリーマンショックで多くの人が経済的な危機に直面し、米国ではそれまでの価値観を見直す動きが起こりました。よりいい稼ぎがあることが幸せなのだろうか。よりいい家、いい車を所有することが幸せなのだろうか。他人と競争しつづけるのが幸せなのだろうか、と。
価値観が揺らぐ中で、健康的な暮らしや、豊かな時間の使い方、豪華ではないけど美味しい食事といった根源的なことを多くの人が考えはじめました。すると、そんな価値観を持った人の多い地方都市ポートランドに注目が集まりはじめたのです。火をつけたのはなんとコメディ番組。2011年放送開始の、ポートランド独特の価値観や生活スタイルを揶揄した番組「Portlandia」。ポートランドの暮らしをシュールに描いたこの番組によって人気は加速することになります。
日本でも2013年頃から、その独特のカルチャーや生活スタイルが話題になり、ヒップスターカルチャーに焦点を当てたガイドブックの出版や、メジャーな雑誌で特集を組まれたこと、ポートランド発の雑誌『KINFOLK』の日本語版の出版がきっかけで、多くの人の旅の目的地候補に入るようになりました。おそらく、日本で初めて世界の地方都市がブームになった事例です。
台湾や韓国など他の東アジア諸国や欧州でも人気がでていますが、なかでも顕著なのが日本での人気です。これは2011年の東日本大震災が背景にあるといえます。米国でのリーマンショック同様、多くの人がそれまでの当たり前を見直すようになり、価値観の変革が起こっているのです。その風潮の中で人々が求める暮らし方にフィットしたことから他国よりも顕著なブームが起こっています。Think Dailyの読者の皆さんの中にも訪れたことのある方、友人・知人から訪問記を聞いた方も多いと思います。
ポートランドといえば、タトゥーと長いヒゲが特徴的なクリエイティブなヒップスターたちが集い、かわいい店やホテルが多くて、コーヒーとビールと食事が美味しい街、というのが一般的な認識だと思います。もちろん間違っていません。間違ってはいないものの、ヒップスター的な人たちは、一部地域には多いものの、人口の2〜3%程度です。実際には、街中で楽しそうに過ごしているシニア世代が多く、最新のお店よりも古い映画にでてきそうな年季の入ったお店に多く出会える街です。
新しくて"Rad"(革新的な=カッコいい!の意味の褒め言葉として現地でよく使われる)なカルチャーが生まれ続ける一方で、不思議なくらい古いものがしっかり残る街ポートランド。世界中から注目されるファッションやデザインを生み出す若者が集う一方で、シニア世代にも人気の街。相反するように思えますが、なぜ共存できるのでしょうか。
その理由は、表面的なアウトプットばかり追っていては、なかなかわかりません。そしてそれは、"都市"としてのポートランドだけ見ていても見えてこないものでした。市民が街のコンセプトを知っている、古くさい地元の空港のカーペットの柄を覚えている。そして、2つの歴史的なショックを乗り越えて発展する。そんな街が生まれた秘密はどこにあるのでしょうか。
目次へ移動 オレゴンの大地に根ざした感覚
秘密は「オレゴンの大自然」にありました。
どういうことかって? その意味をみなさんに紹介するために、ちょっと歳の離れた友人であり建築家・都市計画家であるボブ・ヘイスティングスにインタビューをし、ポートランドの街づくりの秘密を探ります。
ボブさんとは、持続可能な都市開発に取り組むプロフェッショナルが世界中から集うカンファレンス「Eco District Summit」で出会いました。カリフォルニア州ロスアンゼルスで生まれ、オレゴン大学への入学を機にオレゴン州に引っ越してきたボブさんは、建築学科を卒業し、ペンシルバニア大学の大学院を出た後は、建築家としてポートランドに本拠を置く全米でも最大級の建築・都市計画会社 「ZGF」に勤めた後、ポートランドの公共交通をつかさどる「Trimet」に転職。大学で出会った奥様との間に2人の子があり、娘さんも建築家としてZGFに勤務する建築家一家です。
United Statesというだけに、アメリカ人の「州」への帰属意識は非常に強いです。州ごとに法律が違うくらいですから、境界を越えればさながら別の国。高い地元意識があります。
「オレゴン州市民の価値観は、美しい自然への感謝が根底に有ります。この大自然に惚れ込んだ人たちがここに住み着きました。今でも自然との関係性を何よりも重視していることがオレゴンの特長です。アメリカはどの州も自分の州に誇りを持っています。でも、オレゴンではそれが一層強い。この土地を住み良く、住み続けられる場所にするためにどんなことにも挑戦する感覚です」(ボブさん)
この意見は、異口同音に聞かれるものです。別の人からはこんなジョークを聞いたことがあります。"ヨーロッパからやってきたピューリタンのうち、お金(ゴールドラッシュ)に目がくらんだ人はオレゴンを通りすぎてカリフォルニアへ、大自然に目がくらんだ人たちはここに残った。"
このジョークの主がひねくれているわけではなく、どの州でも近隣の州との比較ジョークがあります。オレゴンの場合は南に接する、産業面で豊かなカリフォルニアへの対抗意識が様々な側面で見えてきます。でも、同じ尺度で競おうとせず、「あっちにはあれがあるけど、こっちだっていいもの持ってるぞ!」というような姿勢であることが多いのです。
さて、"お金よりも目がくらむ"大自然とはどんなものなのでしょうか。
ポートランドから車で30分ほど走るとこんな風景が広がります。
平野部では農園地帯がどこまでも広がっています。
なるほど、たしかに美しい! 私もオレゴンの自然が大好きで、空港に着いてすぐに街とは逆方向に車を走らせ、思いっきり深呼吸してから仕事に向かうことが少なくありません。でも、広いアメリカ。豊かな自然を有する州は他にも多くあります。なぜ、ポートランド市民はこんなにも自然への意識を強くもっているのでしょうか。
目次へ移動 オイルショック後の変革
現在、米国では数少ない「Walkable City(歩いて移動できる街)」としても有名なポートランドですが、70年代のオイルショックまでは他の都市同様、車がなくては暮らしづらい、普通のアメリカの街でした。ご多分にもれず、中心市街地が空洞化しドーナツ化現象に直面していました。
中心市街地のほとんどを駐車場が占め、人通りがないことによって治安も悪化していたそうです。しかし、オイルショックを契機に状況は一変します。自動車がなくては生活できないことに疑問を持った住民たちの運動によって、駐車場用地は広場に転換、建設中だった高速道路の撤廃、川沿いを覆っていた道路を公園にするなどの動きが起こりました。そして、路面電車を中心とした公共交通の拡充による歩行者中心の街づくりへと向かいました。なぜこんなにも急展開を見せたのか。ここにもやはりオレゴンスピリットがあったようです。
「富を築くために、自然を消費してきた事実に多くの人が気づきました。開拓期以来、魚は乱獲され、木は過剰に伐採され、そして工業化の時代には空気も水も土壌も汚染されてしまいました。早い時期にその間違いに気づいた州のひとつがオレゴンです。1970 年代、市民は変革の旗手に投票することで、イノベーティブな政策を推し進めてきました。弱い部分に目を向けて解決に取り組めば、それは必ず全体の恩恵につながるはずだという気風がありました。この気風は様々な変革につながり、例えば、海岸線はすべて誰のものでもなくオレゴン州民みんなのものとされたし、飲料瓶に課金したのもこの州が最初です。そして大切な森林や農業地帯を守るためのルールが制定されました」
とボブさんは語ります。
この流れの中でも、現在に至るまで街の発展に奏功しているのがUGB(都市成長限界線)の設定です。つまり、この線(地区)を越えて市街地は作れません、という法律を定めたのです。これによって、都市部は市街地として発展できる密度を保ち、農業地帯や山林は保護されてきました。実際に行ってみると、線を境にスパッと分かれています。
物理的な恩恵は前述した通りですが、他にはどんなメリットがあったのでしょうか。
「3つの恩恵があります。まず、市民の中に、生態系の尊重と高度な農業マネジメントによる利益を享受する感謝の気持ちが生まれたこと。そして、市民、行政、企業が協力して、活発で持続可能な経済をつくっていくシステムができたこと。最後に、それらに参加するマインドが高く、よく教育された市民性が醸成されたことです」
1つ目は、街が大自然や食べ物の生産地から近い場所にあることによって市民のマインドにそれらへの尊重が育まれた結果。そして2つ目と3つ目は街の大きさが決まっていることによってコミュニティの単位が明確なため、密度の高い街と肥沃な大地の発展のさせ方について官・産・民の連携が必要とされることによるものです。
都市成長限界線は、どの街にもフィットする政策ではないはずです。こよなく大自然を愛する州民性が前提にありつつ、オイルショックとドーナツ化現象という大きな転機に直面していたからこそ導入でき、うまく適応できたのです。
冒頭の、誰もが語れる「自分の街のコンセプト」を生み出したもの、それが都市成長限界線です。自分の暮らしが他の街とくらべてどういう点で良いのか語るときには必ず、川辺や森林へのアクセスのよさについて語られます。街を小さく保った結果、愛する大自然の身近さも保たれたのです。
ボブさんの語った3つ目、市民参加のマインドが高く教育された市民性、これもポートランド独特のものです。私が初めて訪れたときに衝撃を受けたのもこの点でした。ポートランド行政の意思決定には議長と4人の代議員が中心的な役割を担います。他の議員はなにをしているのかって? いえ、議員は4人しかいないのです。正確にはシティコミッショナーと言われる役職です。コンパクトな議会は市民に開かれた形で行われており、市民は直接、議会で意見を述べることができます。その市民の意見の集約・調整を担うのがネイバーフッドアソシエーション(隣人組合)です。
目次へ移動 先進的な町会組織が街を動かす
ポートランドの街づくりについて体系的にまとめ、日本に紹介したパイオニア的な書籍『グリーンネイバーフッド』(繊研新聞社刊/吹田良平著)で、「ネイバーフッドアソシエーション」の存在を知って以来、気になっていたのですが、初訪問時にコンタクトをとろうと調べてみると、会議の予定がインターネット上で公開されていました。だれでも参加できるようになっていたのです。念のためEメールを送ったところ、大歓迎という趣旨の返信。この1本のメールが私にとってのポートランドに深く関わる契機でした。
実際に行ってみると、若い人も昔から住んでいるおばあちゃんも一緒になって話し込んでいました。日本人が視察にくるのは初めてだったそうで、色々質問に答えてくれて、おばあちゃんからは彼らの感覚をより深く理解するための課題図書まで提示されました。
この隣人組合の活発さがポートランドの街づくりの特色です。市内は95の"ネイバーフッド"の単位に分かれていて、そのそれぞれに隣人組合があります。地区ごとに活発さの差はあるようで、新しく開発された街区であり隣人組合も非常にアクティブなパール地区の場合、毎週何かしらの委員会や分科会が開かれています。今では2週間に1回のペースで日本の街づくり関係者の視察があるそうです。
特長はとにかくフラットで、とことん対話をすること。議案は町内のお祭りの企画といったものもあれば、新しくできる複合施設の外観のペンキの色について、空いている路面テナントに入るらしい新店舗について議会に意見するかどうか、など多岐に渡ります。デベロッパーなどの関係企業を招いて会議をすることもあるそうです。例えば地元に根ざしたオーガニック系のスーパーマーケットなどは新規店舗の開店の半年前からこの会合に参加して、住民から意見を募るそうです。営業時間は何時から何時であるべきか、品揃えはどうあるべきか。受け入れる側も入っていく側もマインドがすごいですね。脱帽です。
ボブさんのお話に戻りましょう。自分たちの土地を愛し、コミュニティを大切にする価値観を強くするものはなんなのでしょうか。
「それはきっと、長い長い雨季と、強いコーヒー。そしてそれが育んだ"場"への感覚の強さでしょうね」
晴れの多い西海岸のイメージからすると意外ですが、10月頃から4月までつづく長い雨季がある米国北西部。アジアの雨季のように豪雨になることはほとんど無く、曇天と霧雨が断続的に続きます。雪はほとんど降りませんが、自然と屋内で過ごす時間が長くなります。「強いコーヒー」はちょっとしたポートランドジョーク。暮らしにコンシャスな人が多いことを説明するときに、「美味しすぎるコーヒーの飲み過ぎで感覚が強すぎるのさ」とか「ビールがあまりにも美味しいから飲み過ぎで変なこと考えているのさ」なんてことがよく言われます。
3つ目の場への感覚の強さは長い雨季と強いコーヒーに密接に関係しています。北欧の冬のように屋内で過ごす時間が長くなるだけに、お店やホテルのつくり方は凝ったものが多く、自宅のインテリアに時間を費やす人も少なくありません。それは街の風景にも影響しています。
中心市街地では1階には必ず店舗を入れなくてはならないという条例がありますが、路面に面したお店のほぼ全てがファサードに透過性の素材、つまりガラスを使用しています。これは多くの人が屋内にいたとしても、街の賑いが感じられるように配慮したデザインだそうです。
ポートランドを語るときに必ず引き合いにだされるエースホテルにもその気質が如実に反映されています。ニューヨーク、ロスアンゼルス、シアトル、他の土地のエースホテルにはなくてポートランドだけにある特徴、それは道路に面した部分にガラス張りのロビーがあることです。普通、アメリカの都市部の小規模ホテルはエントランスからすぐにレセプションカウンターがある設計になっていますが、ここではカウンターを奥においやって、広いロビーが外から見えるようになっています。結果として、旅人も街の人も思い思いに時間を過ごすスペースとなり、街ににぎわいのある情景を提供しています。
目次へ移動 食と農へのこだわりと挑戦マインド
オレゴンの価値観を語る上で欠かせないのが、食と農の話です。
ボブさん曰く、
「オレゴン州民は自分たちを支える自然を破壊していることに気づいて以来、ヘルシーで、ワクワクできる、そして持続可能な経済の姿を模索しつづけています。今や地元産の製品を探すのは難しくありません。オレゴンワイン、クラフトビール、Dave's killer のパンのようなすばらしい食品です。素晴らしい食材は、生産者とシェフ、そして郊外の人と都会の人の架け橋として機能しています。
そして、オレゴンでこれからも永続的に中心となる産業はやはり農業です。肥沃な大地と、高地も平野もある多様な環境、そして、新しいアイデアに挑戦する姿勢が世界最高の品質をつくりあげます。オレゴンならではの新しいアイデアに挑戦する姿勢は独特の文化を築いています。食の場合は新鮮で、高品質で、そしてワクワクできる食事です」
伝統的に、こよなく愛する大地から生まれる素材の味を活かした料理が多いオレゴン料理。例えばボブさんのお家の夕食の様子は−−
この日は特産物の鮭と季節のアスパラをベランダでグリルしました。この小型のBBQコンロはマンションであってもほとんどの家庭のベランダにあります。さっと焼いて、旬の味を楽しむ。これが基本です。
一方で、いい素材を生かす新しいアイデアに挑戦する姿勢が今のオレゴンの盛り上がりをつくっています。それは料理の現場でも農業の現場でも日々起こっています。いくつか事例を見てみましょう。
まずこの数年間で一番驚いた料理。「Tasty n Alder」という行列の絶えない人気店での一皿です。
海老のグリル?
ではなく、海老のベーコン巻グリルです。味は・・ご想像通り。ほどなくメニューから消えていました。
もちろん挑戦がうまくいったケースも。日本でもブームになりつつあるクラフトビール。オレゴンは米国ではじめてビールの醸造所と酒場を一体化して営業できる法律ができた場所で、市内だけで50以上のマイクロブルワリー(小型醸造所と酒場が一体になった店舗兼工場)があります。州の特産物であるホップをふんだんに使ったIPAが名物です。同じく特産物であるリンゴを使ったお酒、シードルも非常に伸びている分野です。当地ではハードサイダーと呼ぶのが一般的。ビールと違ってほぼマーケットがなかった状態から、この10年ほどで急速に拡大しています。
これがすべてハードサイダーです。チャレンジングな姿勢が注目を集めるサイダリー(ブルワリーのハードサイダー版)である Reverend Nat's Hard Ciderでは、10以上のフレイバーのハードサイダーをつくっています。オレゴンのハードサイダーは、ヨーロッパの常識ではありえない、ホップを使った製法によって大きな発展を遂げつつあります。
Reverend Nat's Hard Ciderのオーナー、ナットさんも8年前からこつこつと様々な実験を自己流で重ねて、今や海外に輸出するようにまでなったそうです。では、リンゴの生産の現場はどんなチャレンジをしているのでしょうか。
収穫後に行ったためちょっとさびしい写真ですが、オレゴンのリンゴ農家はとにかく広大な土地で大量に生産しています。大規模だからと質にこだわらないわけではなく、効率と品質、よりよいバランスを求めてここでも試行錯誤が行われています。研究を重ねて新しい栽培法に挑戦し、最近ではハードサイダーの市場が安定してきたのでハードサイダー向けの品種づくりも行われているそうです。
ちなみにリンゴ園で迎えてくれたのは、こんな素敵なおばあちゃん。
反則ですね。無条件に嬉しくなっちゃう。御年70歳。現場からは離れたものの、お孫さんとこうやって毎日ドライブを楽しんでいるそうです。こういう牧歌的な光景もオレゴンらしさ。
ちょっと話がそれましたが、新しいアイデアの実行に挑戦する姿勢と、それを面白がって応援したり許可したりする、言わば「やってみなはれ精神」は、食にかぎらずあちこちで目にすることができます。古きを愛しながら、新しいものを面白がる。この一見矛盾するふたつの姿勢はどう均衡を保っているのでしょうか。最後にボブさんに聞いてみました。
「哲学家のジョージ・サンタヤナの有名な格言にこんな言葉があります。"過去を思い起こし得ないものは、過去を繰り返すように運命づけられている"。素晴らしいアイデアと機会は、オープンな態度とそれらを試してみようとする姿勢によってもたらされます。"これが慣例だから"と決めつけていたらできない。
50〜60年代のアメリカ、オレゴン・ポートランドを含む世の中全体として歴史的な建物や路面電車、家具、音楽、その他伝統的な産物すべてを否定する風潮がありました。新しくてモダンな世界の魅力に負けてしまっていたのです。でも70年代に気づいたのです。自然資源の破壊と同じように、新しいものをつくればいいと決めつけて、ひたすら切ったり貼ったりしてきてしまったと。だからオレゴンでは"STOP!"と悲鳴があがりました。そこから重要かつ困難なプロセスがはじまりました。自然環境と私たちがつくり上げてきた都市環境について修復すること、再生すること、考えなおすことがはじまったのです」
目次へ移動 みんなが覚えているカーペット柄
冒頭で上げた、"みんなが覚えているカーペットの柄"もそんな気風と強い地元愛が顕著に現れたものかもしれません。
これがそのカーペット。80年代にデザインされて、痛む度に同じデザインで修復が繰り返されてきましたが、いよいよ新しいデザインに変更されることに。そのニュースが報じられるやいなや、ソーシャルメディアは大騒ぎに。
「あのカーペットを見ると、ああ私オレゴンに帰ってきた!って、ほっとしてたのに」「あんなに愛らしいカーペットは世界に二つとない」と、このカーペットへの愛は一大ムーブメントへ発展。カーペット柄のボトルに入ったビール、カーペット柄のTシャツ、カーペットの柄をタトゥーにして背中にいれる人まで出現。果てにはこんなウェブショップまでオープンしました。
一見ふざけてるようにしか見えない事例ですが、強い地元愛、古きを愛しつつ、面白いアイデアは試してみる、というオレゴンらしい価値観ならではのムーブメントではないでしょうか。
目次へ移動 自然と暮らすという共有価値が生んだ未来
オイルショックもリーマンショックも、年表で見る上ではマイナスの歴史です。そんな時だからこそ、余分な価値を引き算して、本当に大切なものを見つめた結果が今のポートランドです。いつの時代でも、自分たちの持てる最大の資産であり、暮らしの質を大きく左右するのは自然環境だという価値観に立ち返ってきました。
最後に彼らの自然への感覚を育んでいる遊びをご紹介してこの記事の結びとします。
夏場に郊外の流れの緩やかな川で自然発生的に行われるレジャー「フローティング」です。浮き輪状のボートに乗っかって、川の流れにまかせてぷかぷかと、3〜4時間かけて川を下ります。混んでいる時だと、川がうまっちゃうんじゃないかというくらいの人が集まります。大人も子どもも、ただ浮かんで、川を森を山を空を眺めるだけ。とてもオレゴンらしい遊びです。
前半で紹介した川辺の絶景スポットの通路では、こんな具合におばちゃんたちが遠くを見ながら話しこんでいました。景色のいい場所は平日でも夕方になると仕事帰りの人が集まってきます。森の中では、晴れの日も雨の日もトレイルランを楽しむ人によく出会います。もちろん街中でもランニングやサイクリング、ストリートスポーツを楽しむ人が多数。こうした経験の蓄積が、ローコンテクスト文化(共有する前提の少ない環境)であるアメリカにあっても、自然環境が何より大事という点について共有価値観を持った社会を形成している大切な要因です。
古いものを愛しながら、新しいことに挑戦する。土地への感謝を忘れない。この根源的な気質が不況を契機に顕在化し、成長してきた街、ポートランド。この街の姿は、いま世界の人たちが考える"欲しい未来"のひとつの形のはずです。オレゴンにお越しの際は、ぜひ森へ、川へ、畑へ出かけてみてください。素敵な街の空気の秘密が見つかるはずです。
宇田川裕喜・略歴
株式会社バウム代表取締役 クリエイティブディレクター
デザインの考え方で、人の価値観や関係を変えていく場をつくる会社「バウム(場生む)」を2010年に創業。街づくりや店舗、ホテルのコンセプトデザインが主な仕事。2〜3ヶ月に1度ポートランドに滞在して、現地企業や政府とのプロジェクトに取り組んでいる。
取材・文・写真:宇田川裕喜