「小布施(おぶせ)」は、長野市の北、妙高高原や野沢温泉など、北信濃の入り口に位置する人口1万2千人の町。総面積19平方キロと長野県188市町村のなかで188番目に大きな(つまりは一番小さな)町であるにも関わらず、なんと年間120万人以上の人々が訪れているという。町を歩くと感じる文化と歴史の香りや、どことなく懐かしさを覚える自然風景。栗をはじめ、リンゴやぶどう、ワイン、酒とおみやげも名産揃い。しかし、この町の人気の秘密は、こうした観光名所、名品だけではない。いちばん魅力的なのは、その住民。小布施人(おぶせびと)たちなのだ。
目次へ移動 小布施豆知識
小布施町は、雁田山(東部)と千曲川(西部)、松川(南部)に囲まれた長野盆地の北東に位置する。北信五岳(飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山)を望むのどかな土地。http://www.e-obuse.com/
この地でもっとも有名なのが「栗」だ。古くから農業が盛んで、小布施の栗は600年以上の歴史を持ち、江戸時代に入ると、将軍家への献上栗として奉納されるようになった。いまでも町の中心部には、小布施堂、桜井甘精堂、竹風堂など栗菓子の老舗が建ち並び、観光客の舌を喜ばせている。
江戸後期には、千曲川の舟運が盛んになり、市が開かれ、北信濃の経済、文化の中心的存在になっていく。こうした状況下、理解ある豪農、豪商たちの招きにより多くの文人墨客がこの町を訪れた。そのなかでも、もっとも有名なのが、葛飾北斎。彼は、その晩年に、この町の豪商、市村家12代目、高井鴻山の招きにより、小布施を数度となく訪れ、この地に多くの肉筆画を残した。現在、小布施を訪れる人ほとんどが、北斎の痕跡をひと目見ようと、日本唯一の北斎専門美術館である北斎館や、北斎が手掛けたすばらしい天井画「八方睨み鳳凰図」で知られる岩松院に足を運んでいる。
しかし、"単なる田舎の観光地"では終わらないために、そして小布施をもっと魅力的なまちとして発展させていくために、さまざまなアプローチをしている小布施人たちがいた。
目次へ移動 小布施人のDNAに組み込まれたもてなしの心
30年前には、今のような盛況ぶりは想像できませんでしたよ」と語るのは、ア・ラ小布施の社長の市村良三さん。老舗、小布施堂の副社長でもあり、国土交通省が発表した"観光カリスマ百選"にも選ばれたスーパー小布施人。
「人が集まるには、それなりの雰囲気というものがあるでしょう。もともと小布施の町や人には、外部のモノや人を自然と受け入れるDNAが受け継がれているんじゃないかな」
たしかに、前述の千曲川の舟運や北斎の来訪、新生病院(昭和7年、カナダ聖公会により小布施に設立されたサナトリウム)など、古くから外部の人々を受け入れ、交流してきたという歴史をもっている。
「新生病院の存在なんて"ハイカラ"そのものだったなぁ。病院の裏手にテニスコートがあって、そこに落ちている"毛の生えたボール"なんて、ツルツルのゴム鞠しかしらない僕らにとって、ホントに衝撃だった。新しいものの考え方はとても大切だし、それを発展させていかなくちゃと思う」
民間のまちづくり意識を高めるために作られた第三セクターのア・ラ小布施(ア・ラとは仏語で「~風、~流」を示す「a la」からとったもの)は、まさに"小布施流"の新しい経済、文化活動の推進を目指すために、設立された。しかし、市村さんが考えるまちづくりとは、単なる"村おこし"的な発想とは一線を画すものとなっている。歴史的な建造物を残しながら、新しい小布施の顔をつくる町並み修景、古くから地域に残る"小布施丸なす"の復活生産、映画祭や音楽祭などの主催など、ありとあらゆる分野に及ぶ。
「僕らは、戦後の高度経済成長を経て、ありとあらゆるものを手にしてきました。しかし、それと同時に自然の景観などなくしたものも多いはず。近代化によって失ったなにかを、再び取り戻す方法を、ア・ラ小布施が先達となって考えていきたいですね。景気は、"景観が良いところに気が宿る"と思っていますから」
内外の空気を入れ換えるようにつぎつぎにプロジェクトを発表するア・ラ小布施と市村さん。次は、何を小布施から発信してくれるか楽しみだ。
ア・ラ小布施公式サイト
http://www.ala-obuse.net/
目次へ移動 小布施のウェブマスターはアナログ感覚重視!?
ネットで知る"小布施"として、もっとも便利なポータルサイト「いい小布施.com」。小布施中の見どころ、味どころのリンクが張られており、小布施を訪れる前には、是非ともチェックして欲しいページだ。
実はこのサイトを運営しているのは、なんとお寺のお坊さん。雁田山の麓にある、真言宗浄光寺の副住職、林映寿さんがその人である。
「最初は、自分の寺のホームページづくりからスタートしたんです。しかし、当時の小布施は、これだけの観光地でありながら、全くといっていいほどネットでの情報発信がなされていませんでした。だれかが先陣を切って、苦労を買わなければいけないと、2000年11月11日に"いい小布施.com"を開設しました」
現在、サイトは小布施文化観光協会との共同HPとして運営されているが、前述の市村良三さんが協会長に就任し、理事たちは20~30代の人が中心になった。若返りをはかったことで、町民主体の動きも活発化。それとともに、「いい小布施.com」も業者丸投げ的な観光協会のHPではなく、積極性を全面に押し出したものになってきた。住民の協力を得ながら、スタッフが積極的な取材を行い、ありのままの小布施を紹介するオリジナルコンテンツを製作している。そのなかでも、「Theカリスマ職人」や「北信濃ツアー」は非常にユニークなコンテンツだ。
「ここで紹介しているカリスマ職人は、言うほどカリスマ的な存在でもないけれど(笑)、若くてがんばっている職人さんたちです。意外に反響があるみたいで、このページを見て、彼らにも仕事の依頼が来ています。また、北信濃ツアーは、子供の頃、学校から帰って、集まって"さぁ、何をして遊ぼうか?"的なノリのツアーを提案するもの。前もって日程が決まっており、それ以外のものができないという通常のツアー旅行では味わえないような、日々移り変わる自然のなかで、その日一番美しいもの、見ておかなければいけないところなどをフォローできるようにしています」
ネットというハイテクなツールを使いながらも、人々が実際にふれあえるような"アナログ感覚"を大切にした林副住職の心意気も、小布施流といったところだろうか? 刻々と変化する小布施の四季、そして小布施の人と町を今後も独自の視点で紹介してくれることだろう。
いい小布施.com
http://www.e-obuse.com/
浄光寺
http://www.jyokoji.jp/
目次へ移動 小布施きってのお祭り屋
これまで紹介した市村さん、林さんともに、本業をもちながらも小布施のために積極的に動き回っている人物だが、彼らに「この人はいつ自分の仕事をしているんだろう?」と言わしめる人物。それが、関谷さんだ。
コンピュータのシステム・アドバイザーを務める彼だが、ありとあらゆる小布施のイベントで、中心人物的役割を担っている。
「私は、お堅いことではなく、"遊びの延長"でできることに手を出しているだけなんですよ。小布施にこれだけ多くの人が日本中からやってきているのに、ほとんどの人は、小布施の表面的な部分だけを見て通り過ぎるだけ。これじゃもったいないなぁと思ってね」
そういう彼がはじめた活動は"わらしべ長者便"というもの。小布施で関谷さんが知り合った全国各地の人とのネットワークを生かし、物産を交換しながらトラックで各地を周り、最終的に小布施で物産展を開くというもの。
「小布施は元々、市が盛んな町だったんです。物産を交流することによって、人々、そしてそれぞれの文化も交流できるでしょう。ましてや、小布施の人は、外の人(モノ)に対して、警戒心や懐疑心よりも、好奇心が先に立つタイプ。良三さん(ア・ラ小布施の市村さん)がアカデミックな部分を受け持ってくれるなら、私は"泥くさい"部分を担当しようかな......って」。
彼を中心に、約30名の人が集まって「小布施いいだん会」が設立(「いいだんかい」とはこの地方の言葉で「いいでしょう?」の意)。物産展をはじめ、地元民のためのイベントを積極的に管理、運営している。良き交流は良き消費を生み出すもの。わらしべ長者便を通じて、ニーズに合った商品が流通する可能性も秘めている。
「近江商人の言葉に、"売り手よし、買い手良し、世間良しの三方良し"というのがあります。我々の好奇心と小布施のブランド力を最大限に生かした正しい流通は、すばらしい交流を生み出し、より刺激的なものへと変化していくはずです。 "来るものは拒まず、去る者は追う"の気持ちで、これからも肩肘張らずにやっていきますよ(笑)」
関谷さんの積極性と人望の厚さが小布施内外の人々を引きつけてやまない。
目次へ移動 世界に認められた小布施のワイン
桝一酒造、松葉屋本店、高沢酒造など、日本酒の酒蔵も多い小布施。そのなかで江戸後期から150年続いた酒蔵が、現在では、「小布施ワイナリー」として、国際コンクールで金賞を受賞するブランドとして人気を集めている。
「ワインづくりを始めたのは、昭和17年ごろ。戦中の米不足から、いろんな果物を使った果実酒を私の祖父が作り始めたのがきっかけです」
そう語るのは、ワイナリーの栽培醸造責任者の曽我彰彦さん。フランスのワイナリーでワイン修行までこなしたツワモノだ。
「醸造技術などは日本の方が勝っている部分もあるのですが、フランスで学んだことは、畑とそれに携わる人の良さがそのままぶどうの良さに直結するということです。これは当然のことなのに、日本ではなかなかできない(知られていない)こと。だからこそ、日本で、この小布施で、おいしいワインが作れることを証明したかったんです」国産の原料を100%つかい、良くも悪くも自分たちが作ったものに誇りを持とうと作り続けた結果、専門家からの評価も非常に高い小布施ワインができあがった。「フランスと日本では土壌もまったく違います。それだけに、果物の専門家も多く、さまざまな"秘伝の技"も教えていただきました。小布施はもともと農業の町ですから」
小布施に多くの人が訪れることで、小布施ワインの消費は進み(全体の80%を地元で消費)、それを小布施ワイナリーのフラッグシップワインへと資本注入したことで、世界的評価を受けるおいしいワインをつくり出すことに成功した。「ワインは味だけでなく、そのぶどうが育った気候や土地のイメージも伝えるもの。小布施のブランドイメージがあがるような、高品質のワインを作りつづけていきたいです」
ワイナリーでは、収穫や苗植えなど、一般の人々もワインづくりに参加できるようなイベントも企画している。
小布施ワイナリー http://obusewinery.com/
小布施蔵 http://obuse.net/
目次へ移動 私たちはこうして小布施人になりました
花井さんが、小布施を訪れたのは99年のこと。テレビの報道番組の取材だった。
「僕は福岡の炭坑町出身なんですが、この地をはじめて訪れた時、なんとなく懐かしさを覚えたんです。福岡から20歳で東京に出て、そこに住みはじめて、また20年ほど経った頃だったので、自分のなかでも人生の転機だったんでしょうね。また、小布施人と話をしているときに、彼らの発する言葉の強さに引きつけられたのを覚えています」
現在は、桝一市村酒造場の文化事業部に所属。桝一市村酒造場主催の文化サロン「小布施ッション」(Obusession)(月一で開催されるトークセッション+パーティで小布施とセッションの造語)や、北信濃小布施映画祭といったイベントに関わりながら、フリーの映像作家として、小布施を拠点に活動している。
「東京とは生活のリズムも違うし、メディアの受け手の数はテレビの比じゃありません。でも、小布施に生きているからできることがあるんです。それは"空気を表現する"ようなものかな」
昔の仲間には、作風が変わったとも言われた花井さんは、「流れものは、流れものの新しい感覚で」と付け加えた。これからも小布施に新しい風をどんどん吹き込んでくれることだろう。
和歌山県出身の北風さんは、高校時代からユースホステルなどを利用して、全国を旅していた。そんな一人旅で知った小布施に10年前に移住。3年前にようやく念願のユースホステル「おぶせの風」をオープンした。 「この町の魅力はなんといっても"人"。その温かさ、勢いに魅了されたんでしょうね。常に変化、成長を遂げていくこの町の人々に、自分もついていかなきゃと思うもの」
宿泊者との(また、宿泊者同士の)コミュニケーションが取れるユースという形態を選んだが、おぶせの風は、既存のユースのイメージを払拭するようなクリーンで使い勝手のよい施設となっている。
「大体、旅先で町の印象が悪くなるのは、宿泊施設の印象が悪い場合。泊まって、『あぁ、このホテルもう泊まりたくない』というのは『あぁ、この観光地二度と来たくない』というのを意味しますからね」
お金のない若者が布団を並べて雑魚寝......という昔のユースとは全く違う現代的なファシリティが揃うおぶせの風は、まさにユース界の革命児。とはいっても、家族的なサービスというユース独自のアットホームな感覚は忘れてはいない。「いってらっしゃい」「おかえり」というユースらしい声のかけかたに、きっと一日でも、小布施人になった感覚になるのではないだろうか?
おぶせの風 http://homepage2.nifty.com/obusenokaze/
ここで紹介した6人のスーパー小布施人たち。彼らの活動は顕著であるものの、それ以外にも小布施の人の多くが、活気あるまちづくりに積極的に参加している。常に先を見据え、行動する。それが小布施流のやり方。非常に洗練されたものの考え方を地域ぐるみで推進できるからこそ、人気が人気を呼ぶ町として発展していっているのだろう。長野で一番小さな町の小布施が、「まちづくり」の世界標準となっていくかもしれない。
文・写真: 猪飼尚司
資料提供: いい小布施.com
取材協力: 木下豊(文屋) 関悦子(ア・ラ小布施)