トランジション・タウンという言葉をご存じですか? それは、ピークオイルと気候変動(地球温暖化)という危機を解決するために、市民の創意と工夫、地域の資源を最大限に活用しながら脱石油型社会へ移行していくための草の根運動です。2005年秋にイギリスの小さな町から始まったこの運動は、2009年5月現在で、イギリス全土はもちろんのこと、欧州各国、北南米、オセアニアなど世界中の1000を超える市町村で実践され、あるいは実践の準備が始まっています。そして、日本でも葉山、藤野といった地域で本格的な動きが始まろうとしています。エコビレッジなど、ローカリゼーションの動きは、これまで数十年という歳月をかけて世界中に広まりつつありますが、それに比べるとトランジション・タウンの拡がりのスピードは画期的といえます。トランジション・タウンとは、いったいどんな運動なのでしょう? その驚くべき躍進の秘密は何なのでしょう?
目次へ移動 トランジション・タウンとは?
エコビレッジという言葉を聞いたことのある人は多いでしょう。地域での自給自足を実現するために新しいコミュニティを作り上げるコミューン型から、できるだけ環境負荷の少ないエコ住宅を中心とした街づくり、あるいはコレクティブハウスまで多種多彩ですが、何もないところに新たなコミュニティを作り上げるという点では共通しています。理想通りのコミュニティを作れる可能性がある反面、家から農地、共同体の仕組みをゼロから作って行かなくてはなりません。そのためには、膨大なエネルギーと時間を必要とします。
トランジション・タウンとは、ひとことでいえば、既存の町や市といった地域をエコビレッジ化していく運動です。トランジションという言葉は、「過渡期」「移行」「移り変わり」という意味です。何から何に「移行」するのか? それは、「安くて大量の化石燃料に依存しきった脆弱な社会」から「地域をベースにした、しなやかで強い社会」への移行を意味します。とはいえ、特別な社会組織や特殊なイデオロギーが念頭にあるわけではありません。「移行」する「先」にある社会の姿は、地域によって違いがあるのは当然で、その姿は「行動しながら考えればいい」。それがトランジション運動の考え方です。エコビレッジ運動が、あるべき姿に突き進む目的志向だとすれば、トランジション運動はプロセスに重きを置いたプロセス志向という言い方ができるかもしれません。
もちろん、目指すのは低炭素社会です。そのためには、何が必要なのか? もうすでに私たちは多くの答え、技術を持っています。有機農法、パーマカルチャー、自然農法を使った農作物の地産地消、バイオマスエネルギー、太陽光発電、風力発電などによるエネルギーの自給、コミュニティ・トランスポート、カーシェアリング、レンタサイクルなどによる交通の簡素化、身体に優しく環境負荷の少ないエコ建築、新鮮な野菜の比重を増やした食生活、農業を始めとして手や身体を動かすことの重要性などなど、低炭素社会を語るボキャブラリーは、わたしたちはすでに多すぎるほど手にしているのです。それをうまく組み合わせて使うには、あとはコミュニティの同意、コミュニティの成員同士の協働だけが足りなかっただけなのです。トランジション運動には、こうしたこれまでの個別の運動をつないでいく触媒としての役割も含んでいるのです。
目次へ移動 トットネス トランジションの始まり
トランジション運動が始まったのは、2005年秋。イギリス南部デボン州の小さな町トットネス。人口8000人の町でスタートしたこの運動は、3年半ほどの間にイギリス全土はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなどさまざまな地域に飛び火し、現在では170もの町が公式なトランジションを宣言し、1000を超える町がその準備段階にあると言われています。なぜ、このように短い期間に、これほど数多くの町の住人がトランジション運動に巻き込まれたのでしょうか?
最初のトランジション・タウンであるトットネスは、3年の間に大きな成果をもたらしていますが、それとて目に見える形で町が様変わりしたというわけではありません。つまり、実例が魅力的だから後続が相次いだ、というのとは違うようなのです。では、なぜこれほど多くの賛同者が現れ、これほど多くの町がトランジション化しつつあるのでしょう?その理由の一つに「プロセスが楽しい」というのがあるような気がします。その町の事情に寄り添いながら、独自のリソースをうまく活かす方法が、プロセスとして明記されているのです。それが12のステップなのですが、その前にトランジション運動の特徴を見てみましょう。
(トランジション・ジャパンHPより)
- ピークオイルと気候変動という「双子の問題」に同時に対処し得る根本的かつ包括的な解決策の提示をめざす
- 地域レベルに焦点を当てる
- 地域住民の創造力、適応力および団結力を引き出す
- その地域にすでに存在する資源を最大限活用し、それらを有機的につなげる
- 頭(Head)・こころ(Heart)・身体(Hands)の「3H」のバランスをとる
- よりよい未来を描き、その実現は十分可能であると信じ、楽しみながら取り組む
すべてが重要なのですが、この中でトランジション運動の最も大きな魅力といえば、最後の「よりよい未来を描き、その実現は十分可能であると信じ、楽しみながら取り組む」でしょう。社会をいい方向に変えていこう! という気持ちはあっても、それを実現するために歯を食いしばってバーンアウト(燃え尽き症候群)を引き起こしがちです。そうではなく、みんなと力をあわせて楽しみながら取り組む。そして、「あり得るかもしれない未来への怖れ」から行動を起こすのではなく、「こうありたいと願う未来に向けて」行動する。これがトランジション運動のいいところ、あくまでも肯定的な部分です。
そして、次に重要なのが「頭(Head)・こころ(Heart)・身体(Hands)の「3H」のバランスをとる」という点。頭でっかちではなく、身体も動かす、生活に必要なスキルも身につける、そして心の問題を置き去りにしない。実際に、トランジション運動にはコアメンバーが燃え尽き症候群に陥らないためのメンタル面の手当も用意されています。
目次へ移動 トランジション12のステップ
12のステップ
第1ステップ:コア・グループを結成しよう
第2ステップ:みんなで問題を考えよう
第3ステップ:関連団体と連携しよう
第4ステップ:大々的にお披露目をしよう
第5ステップ:ワーキング・グループを形成しよう
第6ステップ:創造的なミーティングを開こう
第7ステップ:目に見える実例をつくろう
第8ステップ:基本的な技能の再習得を促進しよう
第9ステップ:行政機関との協働関係を築こう
第10ステップ:お年寄りから学ぼう
第11ステップ:流れに任せよう
第12ステップ:エネルギー消費削減行動計画をつくろう
ステップ1から5までが準備段階。ステップ6から10までが、成長段階。そしてステップ11が全体の心構え、ステップ12が当面の最終目標ということになるでしょう。これらのすべてのステップに関してロブ・ホプキンスがひとりで考えたというわけではないでしょうが、彼の考えが色濃く反映していると見た方がいいでしょう。ここで想い出されるのは、彼がパーマカルチャーの講師であり、自然建築の専門家であるという事実です。一つひとつの要素が多様な機能を持ち、それぞれが他の要素に支えられている。多様性を重視し、自然のパターンを最大限に活用するといった原則が、社会運動に適用されているように思われます。
もちろん、この12ステップを順番にこなしていかなければならない、というわけではありません。あくまでも目安であって、やりやすいように進めればいいのです(現在では、この12ステップそのものも捨てようという動きになっているようです。しかし、トランジション運動の特徴が理解しやすいと思い、あえて掲載しました)。
目次へ移動 ピークオイル
トランジション運動では、気候変動とピークオイルを双子の問題として、重視します。ピークオイルとは、現在発見されている油田の産出量がピークにさしかかる時、という意味です。それならばまだ半分くらいあるのでは? と思われるかもしれませんが、油田の産出量がピークを迎えた後は、採掘にも手間がかかり、産出する原油のクオリティも悪くなります。つまり、現在のように水よりも安い原油が手に入りづらくなる、ということです。
いうまでもありませんが20世紀の文明は、石油を大量に消費することにより成り立っていたといえますが、それは石油が安価であったからこそ、です。ピークオイルを扱った映画『エンド・オブ・サバービア 郊外生活の終焉』は、そうした機微をよく捉えています。アメリカではガソリンに税金がかからないため、1リットルあたり50円程度でガソリンが手に入ります。だからこそ、燃費の悪いアメリカ車が販売されてきたわけですし、その車に乗って職場から100km以上離れた自宅との往復が可能だったわけです。それが、もし倍の100円になったら、あるいは200円になったら・・・。
もちろん、通勤だけではありません。農産物や加工食料品、あるいは木材、鉄といった資材の輸送にもガソリンは不可欠です。石油の価格が跳ね上がれば、流通が大きな傷手を受けるのは、一時期の石油の高騰を見れば誰しも納得できるでしょう。さらに、石油はあらゆるものに「化ける」のです。食料、衣料、ペットボトル、プラスチック、電気。パソコンから、ゲーム機、DVDを始めとするソフトウェアのパッケージ、スーパーの食品トレイまで。原料、製造、輸送のいずれか、あるいはそのすべてが石油に依存しています。石油由来のものや、石油由来のものに依存していないものはほとんどありません。
その価格が現状の倍、あるいはその倍になったと考えると、突然私たちの生活は危機にさらされることになります。足下が揺らぐような出来事です。トランジション運動は、石油への依存を少しでも減らしていき、ピークオイルを迎えてもびくともしない社会を地域レベルで築いていこうという運動なのです。そして、それは気候変動の影響を可能な限り小さくしていこうという流れと重なることはいうまでもありません。トランジション運動により、地域の低炭素社会化が進み、食と農、エネルギーなどの地域での自給自足が軌道に乗れば、排出されるCO2が減少するのは明らかでしょう。
目次へ移動 トランジション藤野
日本では藤野が公式のトランジション・タウンとして活動しており、葉山、小金井、相模湖、鎌倉、逗子、高尾などが、準備段階にあります。トランジション藤野を立ち上げた榎本英剛さんにお話しを伺いました。榎本さんは日本におけるトランジション運動の「いいだしっぺ」です。
「トランジション・タウンのことを聞いたのは、私がスコットランドのフィンドホーンというエコビレッジに暮らしていた2007年11月のことです。ロンドンで開かれたあるカンファレンス(Be The Change Conference)でスピーカーの1人として招待されていたロブ・ホプキンスの話に釘付けになりました。ピークオイルのこともその時に初めて聞きまして、その深刻さにショックを受けたのと同時に、その解決法としてトランジションというやり方があることも知りました。
まず、地域をベースにしている点、市民の力を活用するという点にひかれました。市民ひとりひとりの力を引き出せれば、人類文明がぶつかっているシステム的な問題に対処できるかもしれないと考えたわけです。それから、問題を直視することは必要だと思うのですが、その結果訪れるかもしれない暗黒の未来という「恐怖」を行動に結びつけるのではなく、自分なりの明るいビジョンを持って行動できるという点。石油のない未来は、もしかするといまより豊かな未来になるかもしれない。ピークオイルを怖れるのではなく、きっかけとして捉え、「そちらの方が豊かなんだから、そっちに向かっていこうよ」という発想ですね。
もうひとつ、私たちに入りやすかったのは、ロブ・ホプキンスがパーマカルチャーと自然建築の講師をしていたという経歴です。トランジション運動も、パーマカルチャーを土台にしている部分があります。キーワードはつながりですね。目に見えていないが、確かに存在するもののつながりを使うという発想。それを街づくりに活かそうとしているように理解できたわけです。多様性に満ちた人々や、町のさまざまな資源を繋げていく触媒のような役割を果たす。そんなイメージですね」。
神奈川県藤野町は人口約1万人。2007年に相模原市に編入されましたが、地域自治区が2011年3月まで設置されることになっています。森と湖と芸術の町と呼ばれ、芸術家が数多く移り住んでいます。また、パーマカルチャーセンタージャパンがあり、日本におけるパーマカルチャーのお膝元ともいえる町です。さらに、シュタイナー学校も3年ほど前から開校しています。オルタナティブな文化を背景にした人々が数多く移り住んでいる地域といえます。
「藤野のトランジション運動は、引っ越して10年以下の3人の新住民がコアになって始めました。それから、地元に古くから住んでいる人、地域の活動をしている団体や個人を個別に訪問して、理解してもらい、後ろ盾になってもらうための活動を開始しました。元町役場の幹部の方に、関係者を集めてもらって、プレゼンをしたこともありました。古くから住んでいる人たちに、新住民がトランジションという横文字を持ち出していくわけです。拒絶反応を示されるのではないかと、びくびくしていたのですが、虚心坦懐に話を聞いてもらい、逆に地域をこうしていきたい、とみなさんが語りはじめてくれたのです。この時は、うれしかった。『ここにきてよかった』と思いましたね」(榎本英剛さん)。
目次へ移動 トランジション葉山
葉山も芸術家が数多く移り住んでいる地域として知られています。さらに、葉山の環境を好み、移り住んできた新住民も多く、環境に関しては先進的な地域といえます。そんな葉山で持ち上がったのが、遊歩道の建設計画です。トランジション葉山の吉田俊郎さんも、その遊歩道建設反対を訴えたグループのひとりです。
「町長選が終わり、葉山をエコビレッジにできたらいいなと考えていた矢先でした。3月に榎本さんに誘われてフィンドホーンに行き、そこでロブ・ホプキンスの講演を聴いて、トランジション・タウンのことを知ったのです。これは葉山でやるしかないな、と思いました。葉山には、海の幸、山の幸もあるし、里山も残っている。芸術家たちも30年以上前から移住している。地元を愛している人、環境を愛している人も多い。5月に葉山に帰ってきてからすぐに活動を開始し、トランジションの説明会を3回ほど行いました。葉山、逗子、鎌倉などから、いろんな人が来てくれました。その他、環境イベントへの参加や、稲刈り、収穫祭、川の清掃など他の団体との連携も深めつつあるところです。また、地産地消のための直売所も作りました。まだ、農産物を細々と扱っているだけなのですが、いずれは地元の漁師さんが穫った魚などの海産物も扱えるようになればいいな、と思っています」(吉田俊郎さん)。
目次へ移動 多様性を活かす大きなうねり
ここまでの文章で、トランジション運動が、多くの人々を瞬時にして引きつける理由の一端でも理解いただけたら幸いです。これまでの社会運動、環境運動が同じ志、同じ目的意識を共有することから始まることが多いのに対し、トランジション運動では、共有すべきなのはピークオイルに関する認識とそれを乗り切るための低炭素社会の実現だけです。それ以外は、どんなイデオロギー、どんな思想を持っていても協働できるのです。
もうひとつの大きな特徴が、地域からの運動であること。食やエネルギーをどうするか、といった問題は国レベルの政策に関わることでした。しかし、その発想そのものが過度の中央集権を生んでいたのも事実です。食べ物やエネルギーを遠くに運べば運ぶほど石油をたくさん消費するのです。食もエネルギーも地産地消ができれば、それが理想です。そうした仕組みを政府や自治体にさきがけて実例を作ってしまう。教育や福祉についても同様。さらにはビジネスのあり方までローカル化していく。すべては、一人ひとりの市民の自発性、創造性にゆだねられているのです。
「労働力」「消費者」などという、大きな流れから押しつけられた役割を脱ぎ捨て、一市民として考え、地域の人々とともに行動する。個人の知恵ではなく、集団的英知を結集することによって、大きな問題を解決していく。トランジション運動を始めたのはロブ・ホプキンスという個人ですが、彼は仕組みを作り上げただけで、それを実行するのは地域に住む市民一人ひとりなのです。まずは、気の合う地域の人々と「いま住んでいる地域をどうしていきたいのか」といったことを話し合うだけでも十分です。あなたの町でもトランジション・タウンの活動を始めてみませんか?
トランジション・タウンに関する情報は、
加藤久人 略歴
1957年東京生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。株式会社バショウ・ハウス主宰。環境、エネルギー、気候変動、リサイクル、ローカリゼーションなどに関する執筆活動を続けている。NPO法人懐かしい未来理事。著書に『えこよみ ecoyomi3』など。